美風庵だより

風にちる 花のゆくえは 知らねども

「神社崩壊」(2)

神社崩壊 (新潮新書)

神社崩壊 (新潮新書)

 
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 町内会で奉仕している地元の天満宮は、拝殿は昭和9年築で、昭和40年代に社務所兼用として修繕・増築されて、現在の姿に至ります。商店街も羽振りがよく、通りに映画館などが並んでいた時代です。いまも社務所の隅にファイルに綴じられた往年の落成記念の写真がありますが、いまでは想像できないくらい、あちこちがピカピカです。
2,000万円の火災保険に加入していますが、間違いなく2,000万円で同じものは建たないでしょう。かといって手出しを求めるにも、張り合ってお金を納めてくれる自営業者は残っておらず、子息子女は転出して残るは老齢者ばかりですから、どの程度拠出してくれるかあてになりません。
お賽銭箱の中身を半年に一度かぞえて、郵便局の通帳に入金に行きますが、だいたい6か月で24,000円ほどです。それに境内の梅の売却益を加えても、約5万しか収入がありません。
つまり、1年で10万以下しか収入がない、下位1割に該当するわけです。
そのかたほうで、殺人事件がおきた東京の八幡宮のように、年に最低5億、多い年は15億の収入があった神社もあるわけです。5万の奪い合いで殺人事件はあり得ませんが、不動産収入だけでも5億なら、たしかに姉弟が遊蕩三昧の地位をめぐって殺人事件になってもおかしくはありません。
赤貧の家には神棚がありますが、すくなくとも引っ越してきた12年前から、神宮大麻伊勢神宮のお札)をお祀りしていません。神宮政治部門な神社本庁の主張(プロパガンダ?)に違和感を感じて足が遠のいてしまって以降、自分が手をあわせに行きたいところの御神札だけをいただく主義になってきました。
しかし、どこの有名どころの神社に再訪しても、以前ほどビビっとくる感覚がなくなってきました。おそらく、外国人が増えたせいでしょう。信仰をもたないひとにとっては神社もただの建物にすぎませんから、祈りに応じて神様が下りてくることもありません。たくさんのひとが祈るから神様が下りてきて、その場の空気が違うわけで、祈りが理解できないひとばかり増えても、どうしょうもないのです。これは教会でもそうで、そこで祈る信徒がいなくなれば、ただの建物に過ぎません。ホテルの結婚式用チャペルとちゃんとした教会の違いは、ここにあります。
赤貧のようなキリスト教にほとんど縁がない人間が、カメラもって教会建築を鑑賞して驚きの声をあげ、祭具をぺたぺたと触りまくって、かたことでなんちゃっての祈りをささげているのと同じことですから、しょうがないことなのですが。