先日紹介した新潮新書のタイトルが「新聞社崩壊」でした。こんどは「神社崩壊」です。これで新潮45の休刊事件をネタに「新潮社崩壊」と新潮社が出したらたいしたものですが、さすがにそこまではムリでしょう。
富岡八幡宮の件や神社本庁の件など、ここ最近、雑誌や新聞で取り上げられた事件を中心に、きちんとまとめられているのはさすが島田さんだという気がします。新味のあるネタはありませんが、きちんと雑誌や新聞を丹念に拾う余裕はありませんから、こういう「まとめサイト」的な書籍は、状況を把握するうえで、役立ちます。
神社でも寺でも、皆が押し寄せて拝むところはとうぜんおカネも貯まりますし、そこに勤めていれば贅沢もできます。不動産収入があればなおさらです。なんの組織でもそうですが、上に行けば行くほど上納金で肥えられるわけで、それを云々して「腐敗している」と断罪してもしょうがないと思います。
嫌なら行かなければよいわけです。
たしかに、日ごろのお賽銭の一部が上納され、巡り巡ってこういう不祥事を起こしている人間の給料に消えているとおもうと、あまりよい気分はしません。しかし、ほんの微々たるものです。自分が奉仕できないなら、誰かに頼まなければいけません。頼む以上、そのひとの生活費が確保できるようにしなければ、いずれ祭祀は絶えてしまいます。けっきょく、そのバランスの問題で、いまは宗教界も格差社会だということなのでしょう。
むしろ神社より問題は、お寺だという気がします。神社でカネで諍いを起こせるほど金満なところは限られますが、お寺はお墓を質にとっている側面があり、お墓を捨てるというのはよほどのことがないかぎり、できないからです。
赤貧のように、毎月2万円ずつ純金積立を行い、毎週木曜に1万円ずつ投信積立を行うのが精一杯の貧しい人間には、縁のない世界ですが……。