美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

楷書、行書、草書

もともと篆書とよばれる、今ではハンコくらいしか使われない文字がありました。ここから隷書と呼ばれる書体が発生します。この時点で大幅な簡素化が行われたので、これを「隷変」と呼びます。

隷書から、ぱっと考えるとまず楷書が出来て、それをくずして言ったのが行書、草書と考えがちですが、そうではありません。隷書の速記体として、まず草書が登場します。草書では読みにくいため、次に行書が出来て、最後に、楷書が登場します。
楷書の登場には諸説ありますが、赤貧が支持しているのは筆の進化という説です。
筆は最初、毛を先端で揃えて棒をくくりつけたものでした。

やがて、先端を揃える手法として、斜筆が登場します。これは、毛を揃えるときにわざと斜めにしたもので、これにより筆先がとがり、楷書が書けるようになりました。要は、油性マジックが登場した最初のころは、フェルトをスパッと角型に切ったものでしたが、やがて斜めに切ったものが登場したのと同様です。

ペンキのハケ状態から、「穂先」が誕生し今のものに近づいたことで、細かい表現が可能になりました。そしてさらに時代は下り、現在のような中心には長い毛をもちいて、周囲は短い毛で揃えた水筆が登場します。

書きやすく、使いやすいよう千年以上かけて筆も進化してきました。筆記具という枠で言うなら、墨と筆から、鉛筆やボールペン、サインペンと枝分かれしながら、それぞれの用途に特化して進化してきたといえます。

ちなみに水筆の技術が日本に移入してきたのは明治になってからとのことで、そのときに早めに分業制をとって大量生産に対応した産地(広島県熊野町)が、ほかの産地を圧倒していくことになります。ふるい産地は、ひとりの職人が原毛の買い付けから毛の選定、軸づくりまで全部を行うのが当たり前でした。結果として職人養成は長期化するため、生産量を一気に増やすことができません。明治になり義務教育がはじまって需要が一気に増えたとき、それに応えることができた産地が、現在でも生き残ったのです。

はたして、時代の変化についていけているか。筆の世界だけではありません。

つねに自問自答していかなくてはいけません。