美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

しまほっけ定食

知人の事務所があるため、400番の博多駅行に乗車して呉服町バス停で下車することが多い。呉服町バス停のすぐ後ろに、やよい軒があるのでよく利用している。よく注文するのがしまほっけ定食である。
どうしても一人暮らしだと、焼き魚はフライパンで焼いてしまう。グリルやオーブンに比べて、蒸し焼きになるため水分が抜けず、味が大味になる。焼き魚をうまく仕上げるこつは、身の水分が抜ける焼き方を工夫することである。「遠火の強火」や「遠赤外線」といった説明によくある言葉は、そのことを表現している。炭火焼が美味いのは、うまく水分を蒸発させて旨みを凝縮させるからで、ガス火で同じことをやろうとすると、どうしても匂いがつくし、そもそもガスは燃焼すると水分を含むため、こだわるひとには敬遠される。
このあたりの理屈を知ると、むかしのひとが塩をして1日置いてから焼いたり、まず干物にしたりする意味がわかる。
気づくのは、やよい軒の焼き方は意図的に水分を飛ばす焼き方をしていないということ。
同種のチェーン店として大戸屋がある。ここもしまほっけ定食を同じ値段で出しているのだが、こちらのほうは皮に焦げ目があり、正当な焼き魚の調理法をとっているのがわかる。だから食べたときの旨みは強く、ぼやけていない。
しかし、両店を食べ比べてみるとわかるが、魚そのものの脂ののり具合がまったく違うし、大きさも違う。素材そのものは、やよい軒のほうが良い。いまはどうしても脂ののりがよいものが好まれる傾向があり、その傾向に近い魚を使用している。ただ、せっかくの脂を落とさないように調理するため、水分が抜けず塩が利いていないので、味はぼやけてしまう。むろん身の旨みが少なくとも脂の旨みがあるし、味がぼけていると感じるなら、しょうゆと大根おろしをかけろ、ということなのだろう。
このあたりは、どういう塩鮭を美味いと感じるかの違いにも共通するものがあるかもしれない。たっぷりと塩をして山積みして水分を抜いた新巻鮭と、ノルウェー産の養殖物を塩水につけて味をつけたもののどちらを選択するかに近い。