赤貧です。
七五三という行事があります。これは徳川将軍家のご子息が節目ごとに寺社に祈願に行っていたのを庶民が真似しはじめたことに起因すると言われております。小遣い稼ぎのいっかんとして各地の神社がおこない始めたのは、戦後のことです。
十三詣という行事があります。関西では成人の祝いとして行われていたものですが、関西に限らず全国にひろまりつつあります。ここ九州・福岡の神社でも、WEBサイトにご案内を載せているところが、けっこうあります。
厄年もおおよそこうだろう、という基準はありますが、門戸厄神をはじめ社寺によっては、代々受け継いだ年齢の基準をもっているところがあります。
そもそも、祝詞奏上といっても、天津祝詞は平田篤胤が1815年、井伊直弼が生まれた年に、ふるい文献を参照しつつ考えたものです。それをベースにさまざまなものが考え出されてきたわけで、じつのところ、保守だ伝統だと言っているみなさんが重視しているものは、そこまでふるい歴史も伝統ももってはいないのです。
さいきん、つくづく常識をまず疑え、と感じます。伝統とか保守と呼ばれるものほど、思考停止のための道具はないぞ、と。