松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

熱田宮




名古屋に行く。中部国際空港から名鉄線に乗り神宮前駅で下車し、まず熱田宮にお参りする。この神社は明治になってすぐのころ、「三種の神器のひとつを祀っているのだから、神宮と同格であるべき」と政治運動を展開し、神宮と同じ様式で社殿を建て替えたりして、なかなか面白い歴史をもっている。
 
さきにそのことを知っていると、うさん臭くてなかなか足を運ぶ気になれなかったのだが、知人が名古屋に転勤になり、そのご縁で足を運ぶようになってみると、そういう人の欲得とはべつのところで、ちゃんとした威厳があるのに驚く。
ひとつには、参拝される皆さんの心のありようではなかろうか。鳥居に頭を下げてなかに入ってこられる人々がたいへん目につく。
神威は超然としているもので、そこで働いていたり、政治活動を頑張っている人々の姿は、関係ない。七五三詣りの子供や親御さんが見受けられるなか、お参りさせていただきながら、あらためて感じ入ることしきり。
 
信長が寄贈したという土塀の辺りを境に雰囲気が変わる。香椎宮でも、高良大社でもそうだが、社殿よりその周辺にあるあまりひとが寄り付かないところに、ありがたみのありそうな祠や故地があったりする。正面から撮影するのは気がひけたので、屋根のすみしか写していないが、土塀の横に祠がある。西八百万社といい、尾張からみて西国にある神社を合祀したものらしい。なるほど、赤貧も西から来たのは間違いない。世の中、意図せずしてきちんと導かれるように出来ている。