松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

昨日の離婚話(゜゜)

昨日の離婚話にメールでコメントがいくつか來てしまいまして(^_^;)
 
基本的に戀愛だ結婚だと騒ぐのは30くらいまでで、せいぜい頑張つて先延ばししてみても、35が限度じやないかと思うわけです。
ヒトとして氣力體力がある程度充實している時期は、なんだかんだ言つても還暦までがひとつの目安でしよう。還暦までに儲けの基礎をつくり、子供が就職するまで持つていくことを考えたら、30がやつぱりデッドラインで、昨今の定年延長を考慮しておまけしても、35が人生の境目。
パックに詰めてスーパーの野菜賣り場に竝んだ状態から、値引きシールを貼られて特賣の對象になり、さらに引き取り手がなければ、切り刻まれて漬物や煮物になつて惣菜コーナーに竝ぶことになります。ここでも賣れ殘れば、廢棄される運命。これがだいたい35に相當するんじやないかと。
野菜とヒトが違うのは、ヒトは足と腦があるので、賣り場に陳列されるかどうかを自分で選ぶことができます。安値で買い叩かれるのが不滿なら、賣り場から自分の意思で逃げることができる。買い手が現れないからといつて廢棄處分されるだけしか運命を選べないのとは、わけが違うということです。
 
おぢちやんは、35のときに「ああ、もう無理だわ(^_^;)」と諦めて、當時やつてた貯金とか金の積立をはたいて頭金にして、マンソン買つたくちなので、すでにもうこういう戀愛とかの話をすること自體が、過去のことなんですよね。女は自分好みの家を男に建てさせることを喜ぶので、女ができる前に家附きになるのは「出荷拒否」以外の何物でもないわけです。
自ら、市場に出荷されるのを拒否して、孤居・孤獨死の道を選んじやつたわけだから、まあ、あとは死ぬまで食い扶持に困らないよう知恵をひねるだけで、それ以上でもそれ以下でもない……。
 
だから、視點がどうしても醒めちやうんですよね。しようがない。
 
殘念なのは、獨りじや行けないところやお店が世の中にけつこうあること。觀光も、わかいうちは一人旅でもなんとかさまになるけど、40過ぎてプラプラしてると自殺志望者と間違えられかねない(-_-;)
 
ああ無情。