松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

今読むと身につまされるというか(゜゜)

この対談、今読むといろいろ考えさせられるわ。

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http://www5c.biglobe.ne.jp/~onbukai/HP-tosyo/onse1999/matumura.htm
 
(略)
 これからの音楽と人

松村 これから音楽はどうなるのかね。僕は僕で自分に誠実に歩いてゆくほかないけど、別な人や若い人の音楽がどうあるべきかということがなかなか言えないな。
助川 どうなるにせよ。喜怒哀楽、人の喜びや悲しみを表わさない音楽なんて存在理由がないよ。
松村 すくなくとも無くならない。
助川 そこに「現代」でないとダメがなんていう観念が入ってくると、わざわざ不協和音を鳴らしたりする馬鹿なことをするようになる。
松村 芸大やめる頃だけど、作曲科の男子学生が、自分はどうしても現代音楽が好きになれないというんだね。学生たちのフォーラムのような場でそう言った。そうしたらほかの学生全部から寄ってたかって袋叩きにあってたよ。ある上級生の女子学生は「私なんか無理してキタナイ音書いてんのよ!」なんて、その学生を諭してるんだ(笑)。これはちょっこわいことだったな。芸大の学生がそういう意識を持つのは問題と思ったなあ。現代音楽が嫌いだといという学生は、少なくともいい成績はとれない。脱落者のようになって皆から仲間外れにされて、コンクールに入るなんてことは勿論考えられない。
助川 よくないね、そういう状態は。僕が知ってる芸大生にも同じことを言ってたのがいたよ。
松村 何人もいるよ。僕は自分なりに真面目に考えて来たことを学生たちに話して来たつもりなんだが、優秀だった学生たちの誰もが祝福されてどんどん作曲活動をしていくように見えないんだな。コンクールなんかに入るのは何人もいるけど、華々しく活動している人はごく一部分で、孤独に苦しんでいる人たちは多勢いる。考え込んでいる人も沢山いる。
(略)
助川 最近は昔と違って作曲の世界もずいぶん変って来た。無調でなきゃだめだとか、ああじゃなきゃ現代じゃないとか、進歩主義的な言い分が影をひそめたね。
松村 進歩主義は本当によくなかったね。
助川 古いということはダメだということだからね。どれだけこういう考え方が害毒を流したか分らない。
松村 新しいものは次には古くなるんだから新聞紙みたいなものだ。世界が荒廃する。
(略)
松村 さっきからわかったようなことを言ってきたと思うが、過去の歴史と照らし合わせて、二十世紀の半ばから現在に至るまで、これまでの人間の歴史になかったようなことが起こっているように思えるんだな。特に一九八〇年以降だな。加速がついて世界は一つみたいになって交流も激しくなって、生活様式も共通的になって、しかも終末的な感覚がどうしても僕にはついて回って抜けないんだな。この文化が滅びてそれに代る新しい文化が興ればそれでいいんだけど、そう楽天的になれないんだね。
 一番の交響曲を書いた時は、自分こそが新しい文化を興そうという野心を持っていた。野心に燃えてたんだな。ピアノ協奏曲の一番、二番の時もまだそうだった。それが一九八〇年代以降、特に最近は何かひどく絶望的な感じがする。これからどうなるのだろう。科学万能で人間も文化もそれに降り回されているような世の中の趨勢だ。科学や技術が暴走してその結果何が起こり、だんなとり返しのつかない怖いことが起こるか検証しようともしない。目先の便利さや面白さばかり追ってる。
(略)

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