松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

すごい。

松村禎三:交響曲第1番/第2番/ゲッセマネの夜に

松村禎三:交響曲第1番/第2番/ゲッセマネの夜に

松村禎三さんを知ったのはNHKのFM放送で、「阿知女」を聴いてから。
「打楽器をバックに呪文をとなえる(ように聞こえる)野蛮極まりない曲」で、しかも日本語っぽく聞こえるのに日本語に聞こえない。イタコの世界か、呪詛怨霊の世界か。
「なにこれ( ゜_゜;)しんじらんねー」で、最後に「まつむらていぞうさんのあちめがどうだこうだ」と柴田南雄さんがいろいろ言う。
 
で。当時イムズにあった山野楽器に行ってみた。「阿知女」はなかったけど「交響曲」はあった。若杉さんと読売日響の録音だったと思う。
聴いてみた。すごかった。
「やっちゃっていいんだこれ( ゜_゜;)」って素直に思った。
少しでも相手にわかるように、音階とかいろんなものを人は考えてお約束を作ってきたわけで。それを文化と名付けたわけだけど。
現代音楽ってそれを壊そうとする文化大革命で、結局壊したら瓦礫で、その代わりの「文化」がなかった気がする。
そういう世界からでてきた或る種のおふざけとは全く違うものがあって。
子供がわんわん泣くのを見て何かが伝わってくるんだけど、それがどういう意図なのかがわからないあの感じに近い感覚。掴みだして放り投げられた素の感情に近いものがどわーっと流れ込んでくる。
 
「ああ、これは音楽じゃないとできないや。これに近いことができるのは絵だけだ。絵や音じゃないとこれは出来ない( ゜_゜;)文学は音楽や絵に負けてるなあ……」と当時同人誌の編集やってたんで、素直に完敗気分になったのを覚えてる。
 
それから数年後、生で「前奏曲」を聴く機会があって。これもまた衝撃で。
 
やがてNHKが収録して、教育テレビで「沈黙」を放送したわけだけれども、これ見てまたとんでもないもんができたなあ、と。
 
昨日入手した「交響曲第2番」は、結局いろんなものを考えて一巡して戻ってきた世界って感じで、宗教曲っぽいものでした。
最後の明るさがやたら透明なのがびっくりでしたが。まるで日射しがどこからか差し込む聖堂のなかに立つような。
本人は希望の光のつもりだったらしいけど、もうすでに希望の光も白々しいのかな……。
芥川さんの「響」も最後はドの音でバーンと終わる。
心境がどういうものかははかりかねるけれど、次につながるなにかを探した結果がこれだったんだろうな、って気はする。