松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

帰着しました。

93年においらがある同人誌に書いた原稿用紙200枚くらいの小説があるんですが。
これを改作して舞台の台本にしたいという要望がきたのが3月だったかな(^-^;
 
で、今日、福岡市内某所で台本を拝見させていただきました。
メール4回やりとりしただけの相手だったんですが、聞くと、彼の兄ちゃんがこの同人誌をもってたらしい。
あのころ、大学の図書館に、無料配布で置かせてもらってたからね。それをなんと、大学で気づいて集め始めて卒業するまで3年間分、ほとんど欠けずに持ってくれてるんだと。
で、あるつてで問い合わせがあって。
 
・原案等のクレジット不要
・すきに改作してOK
と言ったはいいものの(´・ω・`)、やっぱり気にはなるんですよね。もうこういう世界から足を洗ってるから気にする必要ないんだけど。
 
質問したりやりとりしてる間に、年齢差から来る「埋められない溝」というか、そういうのが露わになってきてたんですが、実際に会ってみると、もとから何を基準にしてるか全く感覚が違うのな(^-^;
おそらくとんでもないロートルがのこのこ出てきたと思ったに違いない……。
 
「じゃあどういうのを恋愛というのか」
先方に尋ねられました。
「谷崎の春琴抄ですよ。
 春琴と佐助の関係。
 春琴が見られたくないと拒否するでしょう。そこでとれる行動は二つ。普通の関係だったら説得するわけです。そんなことはない。気にしなくていい、ってね。でも佐助はそんなことをしないでしょう。見せたくないと相手が言うなら自分の目を針で刺して潰しましょう、と出る。
 これが恋愛だと思いますよ。相手に100%従属して、結果として、100%所有する。
 痛いなあ、辛いなあって思うくらいならやめりゃいい。そう思えなくなる相手と一緒に居るから恋愛なんですよ。
 この小説はあなたは恋愛小説だと思ってるかもしれないけど、これはおままごとなんです。書いた本人が言ってるんだから間違いない。
 二人とも揺れてるんです。いろいろな雑音に惑わされてる。結果として別れるし、泣くけれど、泣くのは相手と別れることに泣いてるんじゃなくて、いちおう原作書いた本人としては、二人とも表向き、思いこもうとしてるところじゃ違うけれど、自分ののぞみ通りにならなかったことに泣いてるんですよ。
別れることが辛いんじゃないの。
別れさせられた自分が辛いんで泣いてるんです。ともに自覚してないだけでね。
結局はエゴなんですよ。
好きな相手に幸せになってもらう方法はね、いっぱいあるんです。でも、やっぱり自分が可愛いから、別れるって選択肢はたいてい選ばないもんですよ。
でもね、それも本来はあり得るわけでね」
「うーん(~ヘ~;)意味わかんね」
 
細かい道具立てとかの話もしました。
 
せっかく舞台化するので、原作では遠くで酔っ払いがなにかを歌っているだけの場面で、「これはださいと思える服装のおやぢ に ゴンドラの唄 を歌わせてほしい」とお願いしたら、
「なんすか?( ・ω・)それ」
♪いのち短し恋せよおとめ
♪紅き唇褪せぬ間に
と、あの歌を歌っても「はあ?( ゜_゜;)」されたので、その場にあったパソコン借りてyoutube

これを探して聴かせたら「いい曲ですね(≧∇≦)b」と言われました……ごめんね下手で(つД`)
 
ま、すでに自分の手を離れてるんで実際の舞台を見ることはないと思いますけどね。
しかし、兄弟の一番上と一番下が同じ大学に在籍して、卒業した兄が持ってるほぼ創刊号に近い時期の同人誌読んで、触発されてそのサークルに入って舞台の台本を書いてくれるってだけでも、本当はありがたいと思わなきゃいかんのだろうけどね。
 
世代の溝が深すぎて困る……。