松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

2023年1月29日の日録

「女優」「さよならの挽歌」

女優 (2021 REMASTER) - YouTube

女優 (Never Again Version) - YouTube

♪思いがけないラブ・シーン
♪初めてのキス・シーン
♪セリフも動きもぎこちなくて
♪嫌われないかしら心配なんです
♪見られるなら一番きれいな私を あなただけに見られたい
♪アクトレス 女はいつだって 恋を真剣に演じてる女優なんです

さよならの挽歌 (2021 REMASTER) - YouTube

♪Kill me love me いっそひとおもいに
♪Kill me love me とどめを刺して

今日も懐メロです。岩崎宏美さんですね。「女優」が1980年発売、「さよならの挽歌」が1978年発売です。1982年に発売の「聖母たちのララバイ」とかのほうが売れたのでしょうが、このころの曲のほうが、記憶に残っていたりします。

というのも、誰が買ってきたのかわかりませんが(たぶん父親)実家にレコードがあったからで、黒い円盤から音が出る仕掛けが楽しくてよく遊んでいました。当時小学生でしたから歌詞の意味がわかったかどうかはさだかではありません。筒美京平さんのメロディーを聴いていただけの気がします。

いまにしておもえば、阿木燿子さんの作詞した「さよならの挽歌」のほうがまだ世界観がわかる気がします。なかにし礼さんの手がけた「女優」は、こんな女がいたらお目にかかりたい気がしますね。でも、youtube検索すればわかるとおり、圧倒的に岩崎宏美さんノリノリで歌うのは「女優」のほうです。

彼女にとっての「かくありたい」という姿はこちらのほうが近いのでしょう。

 

これからたぶんこういう話は増えるとおもいますが、しかたがないんじゃないでしょうか。

AIを使った「ロボット弁護士」出廷が人間の弁護士からの「刑務所にぶち込む」との脅迫殺到で中止 - GIGAZINE

ChatGPTなどのAI技術をベースにした「ロボット弁護士」を活用し、2023年2月に史上初のAIによる法廷弁護を行うことを目指していたスタートアップのDoNotPayが、計画を断念したことを発表しました。DoNotPayのCEOであるジョシュア・ブラウダー氏は、弁護士会から刑事訴訟を起こすとの脅迫が殺到したのが理由だと述べています。

小学校のころ、東芝ココム違反事件日米貿易摩擦の真っただ中で、日々日本の家電品を叩き壊す映像がテレビで流れていた時代をすごしたせいもあってか「ジャップごときが何様のつもりか我々の雇用を奪う」という、当時、画面から放射された恨みつらみがついフラッシュバックしてしまいます。AIのほうが優秀ならやらせりゃいい、といっても、私のような負け組貧窮者でもないかぎり、一般的な男は家族をもって、子づくり子育てにまい進し、自らの生存権をより強固にすべく出世闘争での勝ち上がりをめざすものです。AIはプログラムでサーバ機器に問題がなければ24時間365日労働に従事できますから、稼ぐためにぶら下がっているこれらの人々の居場所を狭めてしまいます。

逆にいえば、労働者の生存を脅かすレベルまで到達したのなら、それで科学は満足すべきです。技術革新が社会を進歩させるといっても、振り落とされる人間の処遇なんかどうでもいい、餓死すりゃいい、なんなら安楽死を準備してやるなんて言えますか?

ついていけない人間(とその家族)を路頭に迷わせしまいには処分する(自殺に追い込む)なんて出来っこないわけですから、科学者には刃物を振りまわすのは自重して欲しいし、こういうのを利用しようとやっきになる資本主義者どもに規制をかけるべきです。

昨今大流行のリスキリングにしても、私のようなサーバ管理やネットワーク工事メインだった人間がWordpressのお勉強はじめましたくらいならなんとかなるかもしれませんが、いまから宮大工やれとか客船の設計やってみろと言われてもほぼ無理でしょう。

私は経済学なんてアホ丸出しとおもっています。

いくら需要と供給は市場が解決するといっても、歯医者が司法試験に準備なしで合格し転職するなんてふつうにあることではありませんし、宇宙ロケットやミサイルの弾道計算ができる百姓がそこら辺にどのくらいいるか、九九ができず小銭を間違えるコンビニバイトが即日で免許取得しジェット戦闘機のパイロットができるか、総論は正しくても人間個人(個体)には限界があることなんて、かんがえる前からわかるわけです。

「日々の生活のなかで得た知識が曲がりなりにも生かせる周辺分野にすそ野をひろげて、少しでも適応性をひろげましょう」というのが、せいぜいの限界です。しかもこれ、個人の学習能力には差がありますから、必ずしも成功するとはかぎりません。

AIはプログラムそのものとそれを動かす機器と電気ですから、習得し直すための期間=セットアップのための時間で、人間にくらべればタイムロスがゼロに近い存在です。かたや人間は、日本国民として最低限の知識と社会性を身につけるための義務教育が9年で足らず、高校も実質義務教育化して12年、さらに大学4年ふくめ16年学校に通わないと、上場企業新卒採用にひっかかりもしません(中卒採用枠のある上場企業ホワイトカラーってみたことありますか?地方公務員の事務屋新規採用ですら高卒枠はあっても中卒枠はありません。なんのことはない、公務員自らが義務教育では役不足と認定しているのです)。

人間にとっての16年が数時間~数日のセットアップで終わるんだから、まともに競争するのが無理というもの。

じゃあ、切り捨てるのか?社会から抹殺するのか?

それもできないでしょう。そもそも論として「食えない奴は死ね」というやつらほど、自分もまた社会の変化に切り捨てられる怖さに気づいていないだけだからです。

若いうちはなんとでもなることが、齢50近くになるともうついていけません。老化を実感します。人生100年なんてたいそうなことを言ってますが、いまですらこの劣化ぶりですから、いったいこのさきどうなるかと恐ろしくてなりません。

これ、工場のOA化が進展したとき「あぶれたひとはどこで吸収するのか?」という議論があったのと同じ状況です。人間はいずれ居場所がなくなる存在だと覚悟するべきなのかもしれません。ああ、やだやだ。

 

今日のお仕事

朝8時半に家を出て、立候補予定者と打ち合わせして、飯塚市内でネットショップ開業の打ち合わせをしてから、15時過ぎに甘木にもどりました。

画像は国道322号、甘木から秋月にむかう途中あたりです。方角的にはおそらく三郡山地でしょうか。雪が積もっています。明日も朝から立候補予定者のところと飯塚市内に出る予定です。橋の上が凍っているかもしれないので、しばらく注意が必要です。

福岡市東区三苫6丁目 綿津見神社


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中臣烏賊津臣命が征韓に供奉し龍舟対馬府中をはなれ雷雨甚だしく風濤つよかりしに、命は海神に誓ひ苫を三枚とりて海底に沈め、其験にや風濤は穏かになりぬ。後に其苫のながれよる所に社を建つ、是れ此祠にして地名も亦三苫と名つくる

福岡県神社誌によれば、神功皇后の聖蹟であるだけでなく、中臣烏賊津臣命こと崇神天皇(中筒男尊)の聖蹟地でもあるようです。綿津見神社だから安曇磯良がメインなのだろうと考えていましたが、どうもそうとも言い切れないようです。

綿津見神社由緒

祭神 志賀三神 豊玉姫命
境内社
 竃門神社 須賀神社
 黒津神社 稲荷神社
 三寶大荒神社  若宮社
 虚空蔵菩薩  大日如来
鎮座由来 香椎宮旧記に神功皇后征韓御渡航の際対馬を発船された時俄に大雷雨大風涛起り御船危殆に瀕す。此時御船の笘三枚を海中に投入し何れの時何れの処にあれ此れ笘の流れ寄らん地に社を建て拝祭せんと海神に祈られし処立処に風涛治り征韓の大業を易く終え給い凱旋後笘の漂着せし地に三枚の笘を神体とし社を建て海神を拝祭された。此神社なり。又此の所縁により地名を三笘という。
古来香椎宮神輿渡御報賽の儀あり中古より神使の神祭となり現在に至る。

香椎宮宮司木下祝夫識 

現地の案内板では、中臣烏賊津臣命こと崇神天皇(中筒男尊)の姿は消されています。

境内社も多く存在します。社殿向かって左側にあるのは、竈門神社(宝満信仰)のようです。

一段高いところには仏堂があります。画像左側が虚空蔵菩薩堂で、右側が大日如来堂です。

正面向かって右側、お堂に近いほうは画像左が須賀神社、右が黒津神社です。

案内板などに近い場所には、三寶大荒神と若宮神社があります。

ここで帰ろうとすると、なにやら立派なお宮に扁額が祀られているのに気づきました。

「綿津見神は八大龍王を称」し、明治の神仏分離で綿津見神社という社号に復するとあります。うっかり読み飛ばしそうになりましたが、かなり重要な点であることに気づきました。

私をはじめ九州王朝説をとる論者のなかには、海神豊玉彦(豊前坊、豊国主、思兼命、ヤタガラス)と八大龍王が同一視されてきたとかんがえる者がいます。おそらくそれで間違いはないだろうと私もかんがえているのですが、現地案内板では綿津見神社は志賀三神(綿津見三神)を祀るとも書かれているのです(しかも香椎宮の宮司さんの文章です)。

海彦山彦の話にもどれば、まず塩土翁神(大幡主)の子が豊玉彦で、その娘で山幸彦(饒速日:にぎはやひ、猿田彦)の嫁になったのが豊玉姫です。彼らのあいだにできたのが鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず)です。 

ウガヤフキアエズ - Wikipedia

これが通説にもとづく系譜ですが、実際のところはおそらくこうであったと、私は以下のとおり推定しています。

ここは、志賀三神(綿津見三神)を祀る神社ではなく、海神 豊玉彦を祀っているのかもしれません。

福岡県神社誌:上巻116頁
[社名(御祭神)]綿津見神社(綿津見神)
[社格]村社
[住所]糟屋郡和白村大字三苫字宮山
[由緒]往昔香椎宮神幸の所なり、神功皇后征韓の神助報賽の遺風なりしと云ふ。又曰中臣烏賊津臣命が征韓に供奉し龍舟対馬府中をはなれ雷雨甚だしく風濤つよかりしに、命は海神に誓ひ苫を三枚とりて海底に沈め、其験にや風濤は穏かになりぬ。後に其苫のながれよる所に社を建つ、是れ此祠にして地名も亦三苫と名つくるよし古老口碑に存す。明治五年十一月三日村社に被定。
[境内社(御祭神)]竃門神社(沖津彦神、沖津姫神)、黒津神社(武内宿禰)、須賀神社(須佐之男神)、稲荷神社(保食神)
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.06.03訪問)

2023年1月28日の日録

そういえば牡蠣を食っていないので。

今日は福岡市内でした。

お昼に、あるチェーン店にはいったのですが、カキフライや牡蠣の天ぷらの定食が美味そうだとおもっても、なにかの間違いではないかという値段です。出せないので、その店では野菜炒め定食をいただきました。

帰りみち、駅前のスーパーで冷凍牡蠣を購入します。

マルタイの皿うどんも特売で安かったので、これに合わせることにしました。

牡蠣とエリンギに火を通して、揚げ麺にかけるだけです。料理ともいえないものですが、意外と美味しくいただきました。冷凍牡蠣はすでに蒸してあるため身が縮みにくく、これはこれで美味いものです。貧乏が憎いですね……。

 

「美貌の都」

郷ひろみ「美貌の都」1983(昭和58)年 低画質 - YouTube

♪この国は美貌の都 芝居ばかりが明るい
♪この国は美貌の都 言葉ばかりが明るい
♪振り向いてみれば
♪人はみな 泣き笑顔

こうも寒いとむかしの曲ばかりおもいだしてしまいます。

この「美貌の都」、作詞が中島みゆきさん、作曲が筒美京平さん、編曲が坂本龍一さんという豪華メンバーで、当時、そこまで売れなかった記憶があります。郷ひろみさんというとイメージは「いちにいさん、ば にいにいさん、ば およめおーよめ、おーよめさん、ばー」でしたから、イメチェンがすごすぎてついていけなかったのかもしれません。

そのわりに「この国は美貌の都 芝居ばかりが明るい この国は美貌の都 言葉ばかりが明るい」の部分はしっかり覚えていて、のちに中島みゆきさんが自分で歌ったCDを買うまで、ずっとほかの部分は忘れていました。中島みゆきさんのCDでおもいだし、中島みゆき&筒美京平&坂本龍一という超豪華メンバーの作品と知って二度ビックリでした。

 

今日の運動経路

次の予定まで90分ほどあったので「神社めぐり」をしました。

今回訪問分は、1日1掲載のペースがこのままなら、なんと年末12月29日から翌年1月2日掲載分となります。もし明日交通事故に遭って召されても、全自動で来年まで掲載だけはされつづけるわけです。或る意味怖いですね……。

今日は、福岡市営地下鉄室見駅からスタートします。

1社目の室見少童神社・天満宮です。もともとここに在ったのが天満宮で、大正時代に少童神社を合併したとのこと。どうやら合併した少童神社のほうが格上だったようで、現地案内板などでの表記は少童神社のほうが先です。

「この地に上陸したさいに菅公が用いられた」腰掛石が社殿横にあります。

菅公はいったい何回上陸したのでしょうか?上陸の伝承数をかぞえて「影武者が10人以上いたのではないか」と書いた古代史マニアの論文を読んだことがありますが、ホント、10人では済まないでしょうね。わたしは菅公を詐称した不届き者も相当数混じっていたという立場ですが、どうでしょうか。

次の埴安神社に向かう途中でお地蔵さんのお堂をみつけました。信仰篤いようで、私がなかで手をあわせていると、年齢問わず通りがかりのかたが立ち止まって手をあわせておられました。

地蔵堂につづき3社目となる埴安神社です。敷地のほとんどは福岡市立南庄集会所となっています。政教分離の問題があるので、地べたは地元所有で建物だけ市のものか、同じ敷地にみえてどこかで分筆されているのかもしれません。

4社目の「将軍神社・宇賀神社」です。雰囲気に屋敷神や邸内社につうじるものがあり、個人のMY神社ではないかという気がします。鳥居の奉納者がほぼ同姓というのも、そう感じる原因かもしれません。お稲荷さんには「宇賀神社」とありますが、参道の鳥居は「将軍神社」です。この将軍とはなにか?境内をぐるりとまわりながらかんがえてみると、おそらく勝軍(将軍)地蔵、つまり防火の神さま愛宕権現ではないか?とおもいます。ほんとうになんらかの「将軍」に由来するものかもしれませんが……。

5社目、小田部の宝満宮です。

このあと、googleマップに神社跡と記載のある地点まで足をはこんでみました。

鉄筋コンクリート造の立派なマンションになっています。

団地造成のさいにいちど移転し、さらにマンション建設のさい社殿そのものは解体したとのこと。ただ福岡県神社誌によれば、さきに訪問した小田部の宝満宮に室見神社が境内社として記載されており、すでに合祀ずみだったのかもしれません。

小田部五丁目」バス停から、博多駅のほうへ戻ります。

4km、1時間ほどの運動でした。

糟屋郡新宮町湊 日照山東漸寺


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住職の居ないお寺を地元のかたが守っておられるようで、境内はきちんと掃き清められています。

日照山東漸寺

日照山東漸寺は天台宗比叡山派に属し、今より約1200年前、伝教大師(最澄)が開いた寺で、大師作の木像聖観世音菩薩を本尊とした由緒ある寺でしたが、いつからか観音堂だけが残り、筑前国観音三十三箇所や糖屋郡北郡新四国千人詣八十八箇所にも指定され、林光院と言う修験者が代々世話をしていた時代もある名刹です。このことは、江戸時代に青柳種信によって書かれた「筑前国続風土記拾遺」にも記されています。

しかし、聖観世音菩薩像は盗難に遭い今はなく、現在は昭和57年に湊地区の人々の浄財で造られた丈5尺の青銅造り観音菩薩像が奉納されています。

また、東漸寺境内にある薬師像については、磯崎鼻に祀られていた薬師堂が風波の侵食により海に落ちそうになったためここに移したものです。現在、東漸寺は無人なので、「東漸寺を守る会」が維持管理を行い、地区の老人会とともに守っています。

法要は1月17日、7月17日に福岡市博多区須崎の天台宗行願寺の善意により執り行われています。

筑前国中三十三霊場の由来

筑前国中三十三霊場になった由来は、元禄10年(1697)に福岡市の天台宗の修験者である臨昌院慈善法印と平山久助重勝5名にて国中の霊場を調べ、これに西国の霊場を移したことによります。つまり、慈善法印が霊場を選び定めたのが最初で、その後国中の巡礼者が多く参拝するようになったのです。

日照山東漸寺を守る会

こちらが磯崎鼻にあった薬師さまでしょうか。

観音堂内を拝謁させていただくと、じつに立派な観音さまが祀られていました。

(2022.06.03訪問)