松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

9月5日の日録

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ベランダで鉢植えをいじっていると、つい朝、じょうろで給水するだけになりがちです。自然の降雨がのぞめないため、ときどき、ホースで水をかけて、葉っぱや幹(茎)の汚れを洗い落とす必要があります。

久しぶりにホースを引っ張り出して、しっかりと葉っぱや幹(茎)の汚れを洗います。

 

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鉢植えの手入れを済ませたあと、休業中の個人事務所の用事で、小倉に出ました。

以前、高層マンションの1階に代ゼミ(Y-SAPIX)が入居していたはずなのですが、姿を消しています。どうやら2020年に不採算校舎を整理したとのこと。

校舎案内 – Y-SAPIX|東大・京大・医学部・難関大学現役突破塾

現在は首都圏だけ対面授業の校舎を残し、残りはオンライン授業一本に切り替えているようです。

久しぶりに八坂神社にお参りしてから、目的地に向かいます。

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この近辺の自転車レーン表示をよく見ると、じつに妙ちくりんなフレームの自転車です。こんなの現実にあるんでしょうか。強度不足ですぐぶっ壊れそうですが。

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ブラウンソースハンバーグ定食|メニュー|松屋

晩飯をつくるのが面倒だったので、用件がおわったあと、松屋で定食をいただきました。

うきは市浮羽町古川 天満神社(宮地嶽天満宮)


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扁額に「天満宮」「宮地嶽」と併記されているため、宮地嶽天満宮と地図で表記されるようになったのでしょう。

集落内の自治・信仰の中心として成立してきた場所のようで、ちょっとした遊具などもあります。

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本殿を眺めていて気づいたのは、正面向かって右側に三階松紋があり、左側に梅鉢紋が彫られていることです。つまり、地元は、宮地嶽を天満宮よりも上位にみていたわけで、この辺りの意図をどうとらえるかは、考えどころではあります。

少なくとも宮地嶽は、まだ高良玉垂命になる前の藤大臣阿部相凾(あべのしょうかん)を、妻子とともに祀る信仰ですから、もともと玉垂宮とは少なからぬ縁があります。

北野天満宮

京都の北野天満宮が、梅紋のほか三階松紋を使用しています。

久留米市北野町中 北野天満宮(上宮・下宮) - 美風庵だより

これ、老松信仰として語られることが多いのですが、すでに私たちは久留米市北野町の北野天満宮のほうが先であり、玉垂命(高良大神)が祭神から消え、三階松紋だけが京都に運ばれたことを知っています。

そういう意味では、梅鉢紋と三階松紋が並ぶこの神社は、最初期の天満宮をそのまま引き継いでいるともいえるのです。

福岡県神社誌:下巻422頁
[社名(御祭神)]天満神社菅原道真、勝村神、勝頼神、神功皇后保食神
[社格]無格社
[住所]浮羽郡大石村大字古川字出口
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2021.04.03訪問)

9月4日の日録(「くりぬき溝の謎」編)

朝5時半に起床し検温すると36度台になっていました。あいかわらず微妙な頭痛はします。

鼻が詰まった感じもあり、のどの痛みもかすかにあります。いくらなんでもこれがワクチンの副反応なわけはなく、どっかで風邪をもらったのかもしれません(え?コロナかもって?)。

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8月29日、砥上岳からの帰路、「くりぬき溝」の案内板に気づきました。
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江戸時代の村は、田舎ではかなりの数、いまも大字として残っています。1810年に丘陵にトンネルを掘り、ため池までの導水を完成させたとあり、どのような経路なのか皆目見当がつかなかったので、いずれ再訪して確認してみたいと考えていました。

この数日、ほとんど横になって本を読んで寝ているだけだったせいか、鬱々としてきます。晴れた日に外に出ないのは、精神衛生上よくありません。

とはいえ、まだどうもだるさが残ります。午前中に別件を済ませたあと昼寝して、15時半に家を出ました。夕方近くになれば、真昼間より涼しいでしょうしね……。

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今回も曽根田親水公園の駐車場に停めさせてもらい、ここから歩くことにしました。さすがに夕方になり、お客さんはほとんど帰られたようです。

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今回はどうしても見づらくなるため、GPSの経路等を書き込んだ地理院地図と元の地理院地図の両方を並べて掲載します。

薄紫が、曽根田や三牟田地区を歩いていれば誰でも見たことがある水路であり、てっきりこれが「くりぬき溝」だと思っていました。

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ただ、これだと案内板の絵と違い、まったくくり抜いていません。あきらかに間違っているのですが、目の前に水路があるため、つい誘導されてしまいました。

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案内板の下を潜る水路を追って、曽根田交差点のほうへ歩きます。

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曾根田交差点と下曽区集会所のある辺りで、進路は三牟田地区側に折れます。

これ、簡単だったなと思った次の瞬間、このまま行っても大村池の堤防の高さに届かないことに気づきました。

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とりあえず大村池まで歩いてみました。やっぱりこの水路をそのまま追っても、池にはたどり着きません。重力に逆らって逆流する水なんて存在しません。

ではいったい?くりぬき溝とは?

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こういうときは、ため池で流入口を探し、そこから追っていくのがいちばんです。大村池にあがったのは、三牟田天満宮を訪問したとき以来でした。水路への取水口のさきになにかコンクリートが見えます。あれが流入口のようです。

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流入口となにかの石碑があり、そしてグレーチングの溝が、三牟田天満宮の参道のほうへつながっています。

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以前にもこの天満宮は訪問しているはずなのに、なにかの側溝だろうと深く考えず無視してしまいました。大村池の流入口は、ここにつながっています。

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たしかに、水管が埋められていてもおかしくない地形です。さらに歩いてみました。

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途中からは、コンクリートの蓋がある水路となります。おそらく民家を横切っているのでしょう。立ち入ることはさすがにはばかられ、いったん戻って市道を迂回しました。

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地域の納骨堂にむかう道の途中にも、側溝があります。反対側にも水管が埋められているのでしょうか?

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また集落内の里道を迂回してみると、ここからなかなかの水が流れる音がします。

これだけの水の音がしているなら導水なんて要らないだろうと思うのですが、やはり水不足のときはこれでも池に貯めるには、足らなかったのかもしれません。

ここまで跡を追って、案内板がある地点より、ここのほうが標高が高いことに気づきました。水は重力に逆らいませんから、あの案内板の位置は、始点ではないということです。

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県道595号に戻り、案内板を過ぎてさらに坂根集落や親水公園側に向かって歩きます。途中、以前から庚申塔が2つあるのに気づいていましたが、あらためてよく見ると、その横で水管が上下2段になっています。

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この奥がどうなっているか歩いてみましたが、防空壕跡のような穴があるだけで、その先は不明でした。というより、地面がべちゃべちゃで滑り、歩けません。

おそらくこの先が「くりぬき溝」なのだろうと見当をつけて、ではどこからこの水路は発しているのか、上流に向かって歩き、確認することにしました。

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朝倉郡筑前町曽根田 八幡宮・高木神社 - 美風庵だより

以前訪問した曽根田地区の八幡宮や高木神社があるあたりで、二つの水路が分岐していました。ここが最初の水門のようです。途中、複数の水門がありましたから、おそらく開け閉めしながら利水を行い、農閑期に大村池に水を貯めていたのでしょう。

今回歩いて、おそらくこうだろう、と思った結果を、地図に「想定経路」として記載しました。

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親水公園まで戻り、途中気づいた寺院跡を訪問してから帰宅しました。

なお、今回の経路は資料記録に基づくものではありませんので、大いに間違っている可能性があります。資料等ご存じのかたがおられましたらご教示いただけると幸いです。

うきは市吉井町桜井(長野) 天満宮


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社殿隣にある長野公民館は、おそらく元は社務所だったのでしょう。

境内には社殿のほか、境内社がいくつかあります。右側画像手前が秋葉社、奥が庚申塔(庚申尊天)です。現時点で由緒などの資料を探し当てることが出来ておらず、細かい状況は不明です。

福岡県神社誌:中巻257頁
[社名(御祭神)]天満宮(菅原神)
[社格]村社
[住所]浮羽郡千年村大字櫻井字古屋敷
[境内社(御祭神)]秋葉社軻遇突智神
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2021.04.03訪問)