美風庵だより

風にちる 花のゆくえは 知らねども

秋月航空灯台跡を訪ねて

 秋月航空灯台跡を訪ねて(2021.07.18本稿)

航空灯台 - Wikipedia

航空灯台(こうくうとうだい)は、航空機の夜間飛行、計器気象状態における飛行の際、航路の示標に用いて安全を期するために設けられる灯台である。

世のなかには、飛行機の運行を支援するための「航空保安施設」というものがあります。そのなかでも、灯火(明かり)により目印を提供するもののひとつが「航空灯台」です。

戦前の航空灯台

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この朝倉市付近にも、むかし「秋月航空灯台」がありました。

とはいえ、なにかの折に話題として聞いた程度で、具体的にどこかまでは、知りませんでした。

 

CJNの九州低山そうつ記

陣尾00

以前から登山経路の参考にさせていただいているCJNさんの「九州低山そうつ記」に「陣ケ尾」が掲載されています。三等三角点のある山です。

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基準点成果等閲覧サービス

いずれ訪問してみたい山のひとつだったので、登山記録を参考に眺めていたところ、なにやら鉄塔を切り倒した跡地が掲載されています。

高圧鉄塔の経路ではありません。これはいったい……。

 

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今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室)|Leaflet版

別件で朝倉市秋月の高内集落について調べるため「今昔マップ」を確認すると、そこには「航空灯台」の文字があります。

(やっと見つけた)と喜んだのは言うまでもありません。

なんと、航空灯台は涙坂から登った先の陣ケ尾にあったようです。

 

18日、「陣ケ尾」三角点と秋月航空灯台跡を訪問してみることにしました。

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18日の行程はこんな感じでした。車の駐車位置が妙なことになっているのは、当初の予定では秋月航空灯台跡地から涙坂へ直接、徒歩道で下山することにしていたためです。

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県道66号を現道に付け替えた際、旧道の一部がチェーン着脱場となっています。そこに駐車させてもらいました。この県道66号は、白川集落までしか道路改良されておらず、そこから甘木側は1.5車線道路のままです。とてもそんな道幅のせまいところに厚かましく駐車するわけにはいきません。

県道66号の改良工事が行われていたのは、まだ私が若いころでした。現在の夜須高原・泉河内方面・秋月方面の三差路は、全面通行止めにして切通しをやり直しその土で盛り土したもので、工事屋さんにUターンを命ぜられたのでよく覚えています。

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旧道は、こんな感じだったと記憶しています。

走りやすくなった現道の脇に、お地蔵さんの祠がありました。登山の安全を願って手をあわせます。

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一直線に改良された現道から2か所、ほとんど見落としそうな感じで旧道が顔をのぞかせています。今回、20年ぶりに旧道に入ってみることにしました。車ではおそろしくて入れませんが、徒歩ならなんとかなるでしょう。

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この離合もろくに出来ない道が戦前につくられた旧道です。すっかり荒れており、ひとや車が通った気配はありません。再び現在の県道に戻ります。

f:id:bifum:20210718082356j:plain朝もやが立ち込め、晴れてはいるものの空気はじめっとしています。じっとりと汗をかく一日になりそうです。

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県道をいったん離れ、瀬畑集落に入ってみることにしました。前の仕事場時代、この県道を10年間ほぼ毎日往復していましたが、瀬畑集落に入ったことは数えるほどしかありません。

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ここには現在、定住者はいなかったはずです。

みなさん筑前町ほかに移住されており、農作業のため通勤されています。

この日も陣ケ尾から下山してくると、福岡ナンバーや久留米ナンバーの車が県道の路肩に停まっていました。刈払い機の音が複数しており、どうやら各地から集まって、集落の手入れをする日だったようです。

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瀬畑集落を出て、左に曲がり、瀬畑ため池を目指します。

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瀬畑ため池の前には軽自動車が停まっていました。こっそり魚釣りにでも来ているのかと思っていたら、チェーンソーの音が軽く響いていました。どうやら山の手入れをされていたようです。

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瀬畑ため池は、戦前の地図にも記載があります。どうも明治から大正にかけて築造され、その後、平成になって改修をうけたもののようです。

朝もやが立ちこめるなか、陣ケ尾のほうを1枚撮影してみました。

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瀬畑林道はよく管理されており、歩きやすい道です。ここで地図を見誤り、手前の作業道に入り込んでしまいました。

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道そのものは歩きやすかったのですが、どうもGPSが示す位置がどんどん地図から離れていきます。周囲を見回すと、植林のあいだから別の道が見えたため、間違ったことに気づき、引き返しました。

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あらためて右折しなおし、さきほど植林のあいだから見えた道をすすみます。それにしても、そんなに通行量があるとも思えないのに、なかなか手入れされている道です。いつも崩壊しまくっている道ばかりでしたから、これは意外……。

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そんなことを考えていたら、目の前に池が現れました。樫畑ため池です。堰き止めるための築堤がそのまま林道となっています。放水口から流れ出る水を眺めていると、水面からボチャン、ボチャンと音がします。どうやら相当大きな魚が複数生息しているようです。

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ため池から水田と太陽光発電所が見えます。朝もやが立ちこめる場所では、太陽光発電もそこまで効率よくないと思うのですが、休耕地利用ということなのでしょう。

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どうやらため池の管理道として手入れされていたようで、樫畑ため池を過ぎたとたん、道が荒れてきます。地理院地図とGPSを確認しながら左折すると……。

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橋が崩落していました。災害で壊されたのでしょうか。通行止めを示すポールと一緒に、標識まで倒れていました。誰かのイタズラかと思ったのですが、おそらく通行させないためわざとやっているのかもしれません。

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橋は落ちているものの、すぐ脇に踏み跡があります。画像ではわかりにくいかもしれませんが、靴の踏み跡やオフロードバイクの轍もあって、意外と通行があるのだと気づき、驚きました。

この後もオフロードバイクの轍は各所で見かけることになるのですが、倒木もそこそこあるのに、どうやっているのでしょうか?倒木を避けて、迂回する道がべつにあるのでしょうか?

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途中、林道が出来た当初はちゃんと役目をはたしていたであろう案内板の残骸を発見しました。錆びて塗装がはげ落ち、なにが書いてあるかまったく視認できません。こういう案内板はたいてい、現在地と地図が書かれているものと相場は決まっていますが、断定はしないことにします。

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瀬畑林道終点の標識があるほうに右折し、ここからまず新八丁越を目指して登ります。

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車輪が通る場所を一段高く舗装し、中央を下げることによって、おそらく雨水から路肩を守ろうという意図があったのでしょうが、両側から雑草で浸食され、舗装が機能しているとは言い違い状況です。途中、完全に崩落しているところや倒木があります。とはいえ、道がわからなくなるほどのものはなく、休憩をとりながらゆっくり登っていきます。

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八丁峠から伸びる林道との交点にでました。地図では丁字路なのですが、どう見てももう一本、道があります。歩くことはしませんでしたが、おそらく新八丁越の支道ではないか?という気がします。

秋月藩成立後、秋月街道が城下を東西に貫通するのを嫌い、八丁越を付け替えて現在の新八丁越が出来ました。旧八丁越がふたたび使われるようになったのは、明治に入ってからとのこと。

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新八丁越が何故この経路になったのか経緯はわかりません。ただ、これまで登ってきた新しめの林道では砂地質が多かったのに、新八丁越に入ったとたん赤土質の地面が増えたところをみると、のちのちのメンテナンスを考えて、崩れにくい場所を選んだ結果なのかもしれません。

そもそも、秋月藩じたいが参勤交代は白坂越えから長崎街道を利用しており、秋月街道は重視していませんでした。

秋月藩蔵屋敷遠賀川下流の芦屋(のちに現在のJR黒崎駅付近に移転します)にあり、そこで鉄などを仕入れて秋月まで運んでいました。(多少遠回りでも)傾斜がゆるく運びやすい経路をとる必要があったのです。

これは、飯塚から嘉穂郡桂川町土師地区~旧筑穂町君ヶ畑地区を経由して秋月まで行く旧白坂越えと、嘉麻市大力地区から秋月までの旧八丁越・新八丁越を歩き比べるとわかります。

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朝倉市秋月の高内集落にむかう新八丁越と、陣ケ尾に向かう林道の分岐点にさしかかりました。県営林の標識が建っています。現地で見るかぎり、高内集落に向かう道は車が通れそうな道なのですが、GPSと地図が示す分岐点は、植林の合間を抜ける経路です。

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どちらが正解かは、実際に歩いて確かめるよりほかはなく、後日の宿題としたいと思います。

陣ケ尾に向かって歩いていると、次第に地面が湿ってくるのがわかります。これまでの経路は乾いた地面が多かったのに、どこかから川が流れる音もします。

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ふと一面緑色の場所に出ました。フキが群生しています。フキは湿った場所を好みますから、どうもこの一面、水気の多い土壌のようです。

それでも、ひとが一人歩けるくらいの幅はフキが生えておらず、ここを歩くひとがいることを示しています。どうやらそれなりに登山客は居るようです。

もうフキを食用に出来る季節は過ぎかけています。ゴールデンウイーク前なら、山菜採りが楽しめるかもしれません。

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フキの群生を超えて、陣ケ尾三角点にいちばん接近した場所に出ました。

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歩いていて気付いたのですが、ここも轍があります。車なら2本並んでいないといけませんが1本なので、オフロードバイクの跡だとわかります。

カバーの一部らしきものが落ちており、しかも新しいので比較的最近のようです。それに、ジョージアの空き缶が2つ落ちています。ここで休憩したのでしょうか。持って帰ればいいのに……。

それにしても、これをよじ登るのは至難です。

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もう少し取り付きやすい場所があるはずと歩いているうちに、坂のなだらかな場所に出ました。ここから尾根づたいに陣ケ尾三角点を目指します。

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三角点の標識はまだ新しいように見えますが、根元が腐って折れていました。拾って、三角点の近くに寄せ、三角点を撮影してみました。

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三角点からほんの2mもないところに、コンクリートの土台が4つ見えます。

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一部、雑木の枝でわかりにくくなっていますが、コンクリートの土台と、鉄骨を切断した跡があります。

おそらくこれが、秋月航空灯台跡でしょう。

この山頂は、じつは朝倉市秋月ではありません。嘉麻市泉河内です。おそらく正確には泉河内航空灯台とでも呼ぶべきなのでしょうが、知名度を考えると、秋月ということになったのでしょう。

近くに腰掛けて、カロリーメイト1箱と持参したコーヒーで軽食をとります。
気温の高い時期は、腰からぶら下げた蚊取り線香が燃え尽きるまえに山を離脱しなければなりませんので、ゆっくりのんびりしていられません。蚊取り線香はなかなか効果があり、あぶやハチのたぐいも寄り付きません。殺虫成分を忌避しているのではなく、煙がいやなのだと思います。

それにしても現地を実際に訪問してみると、謎に突き当たります。

灯台である以上、灯火のための燃料が必要です。重油軽油かはしりませんが、そのまま燃やして明かりとするか、発電機を回して電気を得なければ、明かりはつきません。

今回歩いた、瀬畑林道・新八丁越からの経路は、戦前の地図にはないものです。もしかすると、給油路として存在していたのかもしれません。ただ、表向き地図に載っているのは涙坂からの徒歩道のみであり、まずはこれが燃料の搬入路だったのだろうと考えるのが筋です。

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ところが、どう現地を歩いても、地理院地図にある涙坂からの徒歩道への取付きがみえません。それにもし道があったとしても、相当な傾斜です。灯台の燃料ですから、ひとが背中に一斗缶(18L缶)を二つくくりつけて登るくらいでは追いつくはずもなく、車で補給していたはずなのです。食料などの物資なら、飛行機から落とすということもあり得るでしょうが、可燃物をポンポン山林に落とすとは考えにくく、どうやってここに燃料を運んだか、謎は深まります。

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しばらく思案してみてもわからず、今回は瀬畑ため池に向かって林道を下り、あらためて後日、涙坂から登って、経路を確かめてみることにしました。もしかすると、なにか途中に答えがあるかもしれませんし……。

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林道歩きは快適でしたが、途中から地理院地図に記載の徒歩道と逸れていきます。
ただ、ピンクテープが雑木の枝に巻かれており、また、バイクの轍もあります。どうやら地図の情報は古く、現在は違う経路に付け替えられているようなのです。

赤土層の上は、比較的轍が残りやすく、安心して目印にすることが出来ます。

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途中、日向になったところは雑草が生い茂っていたり、川を洗い越す場所はガレ場になっていたりと変化に富み、歩くには大変ですが、バイク愛好者には手軽に楽しめるオフロードとして認知されているのかもしれません。

今回、瀬畑ため池側から陣ケ尾三角点・秋月航空灯台跡に向かい、途中からオフロードバイクの轍が多いのに呆れ、マナーがなっとらん!と勝手に怒っていました。しかし、作業道?林道?を利用して下山してみると、これなら楽しいだろう、目くじら立ててどうする、とも思えてきます。

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瀬畑ため池が見えてきました。

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地理院地図で徒歩道とされているところの取付きを探してみました。おそらくこれではないかと思われます。ひと一人ぶんの幅しかなく、最後まで登れるかどうかも定かではありません。

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瀬畑集落の道沿いにあるこの自販機は、以前の仕事場時代、行き帰りによく利用したものです。

ここで缶コーヒーを購入して、ひと休憩していた時代が懐かしく思えます。

 

せっかくなので、県道66号の旧道をのぞいてみることにしました。
すでに書いたとおり、白坂峠の丁字路は、むかしの道の一部を削って下げ、高さが不足するところは盛り土したものです。

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坂を下って行くと、一部、むかしのガードレールが顔をのぞかせます。このことから、現道は旧道にそのまま盛り土して工事したことがわかります。

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旧道の入り口が見えてきました。

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5ナンバー車ならともかく、3ナンバー車は路幅が足らないのではないかと思えるほど狭い道が、平成初期まで現役だったことに驚きます。寺内ダムの上流部も路線改良されましたし、近所の主要地方道クラスでこのレベルの「険道」が生き残っているのは、おそらく「かんかけ峠」くらいのものではないでしょうか。

今回、ずいぶんと歩いた気もしますが、帰宅してGPSのログを測ると13kmほどでした。
いずれまた次の機会に、涙坂から陣ケ尾三角点と秋月航空灯台跡を目指してみたいと思います。

 追記(2021.07.25)

旗振り山と航空灯台

おそらく現在流通している唯一の航空灯台に関する著作である「旗振り山と航空灯台」を購入しました。航空灯台はすべて白熱電灯による灯火であり、配電会社や灯器の製造会社まで決められていたようです。

ここで心配したような燃料補給路の問題はそもそも存在しないことがわかりました。

また、鉄塔の高さは17mで、1933年建造ですが戦前は点灯されず、1946年から使用されたとのこと。

北九州市小倉北区魚町4丁目 稲荷大明神


大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )

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旦過市場の近く、映画館(昭和館)の通りにあるお稲荷さんです。

なかをのぞきこむと、御神狐像があるのでお稲荷さんだとわかりますが、近くの神社の御神札やおもちゃの人形などありとあらゆるものが一緒に祀られており、なんとも言えない妖気すら感じます。

【ナニコレ珍百景】に【場所は福岡県北九州市。壁に怖い般若のおめんが掲げられた家】が登場! | 横尾さん!僕、泳いでますか? | 兵庫県加古川市の地域情報サイト

どうもテレビで紹介された有名な場所らしいのですが、たしかに周囲の建物を眺めていると、場所の引っ込み具合や屋根の重なり具合が、都市部なのにちょっとした狐穴にも見えてきます。

福岡県神社誌:記載なし(発見できず?)
[社名(御祭神)]?
[社格]?
[住所]?
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2021.02.06訪問)

両筑軌道の旅(改訂版)

過去に発表した以下の文章の改訂版です。

両筑軌道の旅 - 美風庵だより

2009年4月に公開した「両筑軌道の旅」は、ろくに資料も漁らず、また聞きと現地ヒアリングだけで書いた文章でした。今となっては恥ずかしいかぎりなのですが、同様のコンテンツが少ないためか、現在でも根強くアクセスがあります。

最近、コメントが書き込まれ、感謝のコメント返しをしたついでに、久しぶりに読み返してみました。やはりこのまま放置しておくのは、問題があるようです。

きちんと改訂しておかないと、はてなブログが存続しているあいだ、ずっと不正確なまま垂れ流すことになってしまいます。

12年経ち、どのくらい遺構が残っているかも含めて、経路をたどってみることにしました。

両筑軌道 - Wikipedia

両筑軌道(りょうちくきどう)は、かつて福岡県浮羽郡田主丸町(現・久留米市)と朝倉郡甘木町・秋月町(共に現・朝倉市)などで軽便鉄道・乗合バスを運営していた日本の企業、および同社の運営していた鉄道路線である。

(略)

駅一覧

(略)甘木 - 大塚 - 安川橋 - 下淵 - 千手橋 - 女男石 - 秋月

両筑軌道については、wikiの記述が参考になります。

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今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室)|Leaflet版

まずは、両筑軌道線が甘木から秋月まで走っていた時代の地図(ここでは1926年のもの)をご覧いただきたいと思います。12年前、この地図そのものを入手することができず、(すでに名前も忘れましたが)本に転載された地図の断片を大正生まれのかた2、3名とっつかまえて見せ、彼らの記憶にない部分は推測で埋めていきました。

あの当時質問したかたで存命中なのはすでに1名。その方も入退院を繰り返しておられます。

私も齢をとるはずですね……。

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12年前と同様、探訪の起点は、旧甘木バスセンター(朝倉軌道・両筑軌道甘木駅)としました。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0f/Amagi_station_%28Asakura_Tramway%29.jpg

朝倉軌道 - Wikipedia

これは1940年以前に撮影されたとされる同じ場所の画像ですが、蒸気機関車の煙が見えます。

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国道322号と国道386号が交差する九電営業所前の交差点が、二日市から甘木を経由して杷木まで走っていた朝倉軌道と、田主丸から甘木を経て秋月に至る両筑軌道の分岐点です。

むかし、ここには九電営業所ではなく警察署がありました。その当時から町の規模のわりに、でかい交差点があるなぁ、警察署がある町の玄関口だからかなぁ、なんて考えていたものです。客車も機関車も長さは10mはありますし、それが分岐して方向転換するわけですから、単純な十字路というわけにはいきません。どうしても幅が必要です。

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この細い路地を、両筑軌道の線路跡として紹介しているサイトがあります。私も一時期はそう考えていたのですが、1926年の地図ではズドンと真っ直ぐ川土手をめざしているのに、これでは蛇行してしまいます。

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今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室)|Leaflet版

確認できるなかで最も古い1961年の航空写真を眺めると、黄線のとおり、田んぼのあぜが真っ直ぐになっていることがわかります。現在の航空写真でも、なんとか一部の痕跡が発見できます。

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畑のあぜを歩いて現地を確認すると、盛り土の跡があります。やはりここが、真っ直ぐ川土手を目指していた痕跡のようです。

ここからなんと列車は川土手を走行します。

水害とかどう考えているのかと疑問に感じますが、対岸の集落からも集客を見込んでおり、他に経路のとりようがなかったのかもしれません。そもそも人口密度の低い場所ですから、集客優先で経路を設定したはずです。

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甘木駅の次の「大塚」駅は、おそらくこの橋の近くにあったのではないでしょうか。

1926年の地図では、橋が秋月寄りにあるようにみえます。もしかすると、大塚駅は、もっと秋月寄りだったかもしれません。

この橋の向こうは、筑前町大塚地区です。お客さんの獲得を考えれば、橋の近くに駅を設ける必要があったことは、想像できます。

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線路はこの川土手を走っていたと思われます。途中から市道は川土手を逸れますが、鉄路というものを考えると細かいアップダウンがあったとは思えず、おそらく左側の川土手をそのまま突っ切っていたと考えるほうが自然です。

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386号バイパスを過ぎたあたりが、もっとも線路跡らしい姿が残っています。

両筑軌道の親会社 朝倉軌道は車両の認可幅が1676mmだったのに1830mm幅の客車(つまり「違法」)を投入していたそうですから、もし秋月行にも1.8m幅の車両が入っていれば、見た目なかなかの圧迫感だったことでしょう。

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次の「安川橋」駅は、現在も同名の橋があります。現在はガソリンスタンドや運送会社などがありますが、1961年当時の航空写真を確認すると、ほぼ田んぼだらけです。国道322号の旧道と交差する位置にあり、対岸や持丸集落からの集客を考えていたのではないか?と思われます。

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駅跡をここと推測した根拠は、過去の航空写真にあります。離合設備のない俗にいう「棒線駅」だった可能性もありますが、離合ができる駅だったと仮定するなら、土地の広さ的にはここくらいしかありません。

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国道322号の秋月~甘木間を走っていると、ときおり異常にでかいバスカットや駐車スペースに出くわします。このガソリンスタンドの裏手や才田組の採石場横も、むかしから謎でした。これも、線路跡を国道に転用する際、道をなるべく真っ直ぐ引くために用地買収した余りだとかんがえると納得できます。

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地図にもあった「下渕」駅は、料理屋の先になるのでしょうか。

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ここは橋と大平山に向かう車道の間に駅があると記載されているため、場所の特定は簡単です。

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現在は秋月寄りに「下渕」バス停があります。

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「大園橋」バス停の辺りも、線路が転用拡幅されて322号になったのがわかりやすい場所です。

不思議なのは、せっかく山側に千手集落があるのだから寄り道すればよさそうなのにしていないことです。非力な機関車しか所有していなかっただろうし、なるべくアップ・ダウンがない経路を選んだのかも……と考えてしまいます。

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つづいての駅名が「千手橋」ということは、このあたりに駅があったものと思われます。

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甘木観光バスの「千手」バス停は、バスカットにしては異常にでかいのが謎でしたが、駅があり、線路跡をベースにまっすぐ道を付け替えたのであれば、この余裕ある路幅も納得がいきます。

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「女男石」(めおといし)駅がどこであったかは判断の難しいところです。ただ、1926年の地図でも、1961年の航空写真でも、現在の国道322号にあたる道はない以上、集落から伸びる道と線路の交点であった場所に駅があったことは推測できます。

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すると、女男石駅はこの辺りでしょうか?

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現在の「夫婦石」(めおといし)バス停は、より集落の中心に近いところにあります。

以前はここだと考えていたのですが、地図に道がない以上、まさか田んぼのなかに停車して客を乗り降りさせていたはずはないため、考えをあらためました。

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航空写真と古地図を並べて加工してみました。

現在の国道322号を、おおよその位置ですが水色で書き加えてみました。集落の間をぬけて、なるべく真っ直ぐになるよう道が作られたことがわかります。それに対して、両筑軌道の線路は、いちど山側に沿ってゆるくカーブをつくり、秋月市街地の入り口で止まっています。

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女男石駅を出て、線路は山沿いを走ります。一部は防火水槽に転用されており、その向こうは、ほぼ藪となっていました。

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雨の日にやぶこぎして貴重な合羽を破くわけにはいきませんので、ふたたび里道と合流する地点まで自転車で回り込んでみました。しかし、リサイクル工場敷地内の空き瓶の山に埋もれ、すでにわからなくなっています。

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あきらめてせめて小石原川に残った橋脚を見ようと自転車をすすめたところ、驚くべきことにあの橋脚が見当たりません。九州北部豪雨で流されたのか?と思い残念な気分になっていたところ、川の中央に石にしてはかたちがおかしい物体が転がっています。

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2009年4月、「両筑軌道の旅」に掲載した橋脚の画像です。

九州北部豪雨で、とうとう壊れてしまったのでしょうか……。

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秋月駅跡は、12年前に訪問したときと変わらず、農作業をしていた地元の方に尋ねて行きあてた記憶のままでした。

両筑軌道 - Wikipedia

1911年(明治44年)9月 会社創立
1912年(大正元年)9月8日 田主丸 - 甘木間が開業
1913年(大正2年)1月23日 甘木 - 秋月間が開業
1920年(大正9年)9月21日 上碓井 - 飯田間が開業

じつはこの両筑軌道、嘉麻市飯田から上臼井でも軽便鉄道を経営していました。

笹原炭鉱の石炭を国鉄上山田線臼井駅まで運んでいたとのこと。

記憶がたしかなら、笹原炭鉱は、嘉麻市の市営笹原団地があった辺りに炭鉱本体があり、市営江星団地が、元炭鉱住宅跡だったはずです。

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失われた鉄道 両筑軌道 上碓井ー飯田 : ももちゃんのblog

先行研究をいろいろ読んでみると、どうやら青線の部分が、両筑軌道の線路だったようです。

両筑の「両」とは、筑豊と筑後の「両」筑であり、なんと、秋月から古処山地のどてっぱらに穴を掘って臼井駅までつなごうとしていたわけです。

それ、中小私鉄でやれる?と愕然するほかありません。傾斜につよい車のためのトンネルである八丁トンネルの本体工事がたしか100億円ですから、傾斜に弱い鉄道トンネルともなれば、その数倍はかかるでしょう。

秋月駅跡の標高が83mです。筑豊側で同じくらいの標高をさがすと、西鉄バスの旧「大力」バス停や伏貫酒店がある辺りになり、八丁トンネルの2,3倍は掘らないといけません。

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秋月駅跡から真正面の古処山地側を眺めます。ここから見えるのは、白坂峠や嘉麻市泉河内地区です。土地勘のあるひとはわかると思いますが、真っ直ぐ伸ばすと、旧嘉穂郡碓井町ではなく、泉河内地区を抜けて、嘉穂郡桂川町にたどり着きます。

まさか臼井駅ではなく、筑豊本線の桂川駅まで山のどてっぱらに穴を掘ろうと思っていたのでしょうか。

雄大というか、無鉄砲というか……。