美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

北九州市小倉北区魚町4丁目 稲荷大明神


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旦過市場の近く、映画館(昭和館)の通りにあるお稲荷さんです。

なかをのぞきこむと、御神狐像があるのでお稲荷さんだとわかりますが、近くの神社の御神札やおもちゃの人形などありとあらゆるものが一緒に祀られており、なんとも言えない妖気すら感じます。

【ナニコレ珍百景】に【場所は福岡県北九州市。壁に怖い般若のおめんが掲げられた家】が登場! | 横尾さん!僕、泳いでますか? | 兵庫県加古川市の地域情報サイト

どうもテレビで紹介された有名な場所らしいのですが、たしかに周囲の建物を眺めていると、場所の引っ込み具合や屋根の重なり具合が、都市部なのにちょっとした狐穴にも見えてきます。

福岡県神社誌:記載なし(発見できず?)
[社名(御祭神)]?
[社格]?
[住所]?
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2021.02.06訪問)

両筑軌道の旅(改訂版)

過去に発表した以下の文章の改訂版です。

両筑軌道の旅 - 美風庵だより

2009年4月に公開した「両筑軌道の旅」は、ろくに資料も漁らず、また聞きと現地ヒアリングだけで書いた文章でした。今となっては恥ずかしいかぎりなのですが、同様のコンテンツが少ないためか、現在でも根強くアクセスがあります。

最近、コメントが書き込まれ、感謝のコメント返しをしたついでに、久しぶりに読み返してみました。やはりこのまま放置しておくのは、問題があるようです。

きちんと改訂しておかないと、はてなブログが存続しているあいだ、ずっと不正確なまま垂れ流すことになってしまいます。

12年経ち、どのくらい遺構が残っているかも含めて、経路をたどってみることにしました。

両筑軌道 - Wikipedia

両筑軌道(りょうちくきどう)は、かつて福岡県浮羽郡田主丸町(現・久留米市)と朝倉郡甘木町・秋月町(共に現・朝倉市)などで軽便鉄道・乗合バスを運営していた日本の企業、および同社の運営していた鉄道路線である。

(略)

駅一覧

(略)甘木 - 大塚 - 安川橋 - 下淵 - 千手橋 - 女男石 - 秋月

両筑軌道については、wikiの記述が参考になります。

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今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室)|Leaflet版

まずは、両筑軌道線が甘木から秋月まで走っていた時代の地図(ここでは1926年のもの)をご覧いただきたいと思います。12年前、この地図そのものを入手することができず、(すでに名前も忘れましたが)本に転載された地図の断片を大正生まれのかた2、3名とっつかまえて見せ、彼らの記憶にない部分は推測で埋めていきました。

あの当時質問したかたで存命中なのはすでに1名。その方も入退院を繰り返しておられます。

私も齢をとるはずですね……。

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12年前と同様、探訪の起点は、旧甘木バスセンター(朝倉軌道・両筑軌道甘木駅)としました。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0f/Amagi_station_%28Asakura_Tramway%29.jpg

朝倉軌道 - Wikipedia

これは1940年以前に撮影されたとされる同じ場所の画像ですが、蒸気機関車の煙が見えます。

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国道322号と国道386号が交差する九電営業所前の交差点が、二日市から甘木を経由して杷木まで走っていた朝倉軌道と、田主丸から甘木を経て秋月に至る両筑軌道の分岐点です。

むかし、ここには九電営業所ではなく警察署がありました。その当時から町の規模のわりに、でかい交差点があるなぁ、警察署がある町の玄関口だからかなぁ、なんて考えていたものです。客車も機関車も長さは10mはありますし、それが分岐して方向転換するわけですから、単純な十字路というわけにはいきません。どうしても幅が必要です。

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この細い路地を、両筑軌道の線路跡として紹介しているサイトがあります。私も一時期はそう考えていたのですが、1926年の地図ではズドンと真っ直ぐ川土手をめざしているのに、これでは蛇行してしまいます。

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今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室)|Leaflet版

確認できるなかで最も古い1961年の航空写真を眺めると、黄線のとおり、田んぼのあぜが真っ直ぐになっていることがわかります。現在の航空写真でも、なんとか一部の痕跡が発見できます。

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畑のあぜを歩いて現地を確認すると、盛り土の跡があります。やはりここが、真っ直ぐ川土手を目指していた痕跡のようです。

ここからなんと列車は川土手を走行します。

水害とかどう考えているのかと疑問に感じますが、対岸の集落からも集客を見込んでおり、他に経路のとりようがなかったのかもしれません。そもそも人口密度の低い場所ですから、集客優先で経路を設定したはずです。

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甘木駅の次の「大塚」駅は、おそらくこの橋の近くにあったのではないでしょうか。

1926年の地図では、橋が秋月寄りにあるようにみえます。もしかすると、大塚駅は、もっと秋月寄りだったかもしれません。

この橋の向こうは、筑前町大塚地区です。お客さんの獲得を考えれば、橋の近くに駅を設ける必要があったことは、想像できます。

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線路はこの川土手を走っていたと思われます。途中から市道は川土手を逸れますが、鉄路というものを考えると細かいアップダウンがあったとは思えず、おそらく左側の川土手をそのまま突っ切っていたと考えるほうが自然です。

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386号バイパスを過ぎたあたりが、もっとも線路跡らしい姿が残っています。

両筑軌道の親会社 朝倉軌道は車両の認可幅が1676mmだったのに1830mm幅の客車(つまり「違法」)を投入していたそうですから、もし秋月行にも1.8m幅の車両が入っていれば、見た目なかなかの圧迫感だったことでしょう。

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次の「安川橋」駅は、現在も同名の橋があります。現在はガソリンスタンドや運送会社などがありますが、1961年当時の航空写真を確認すると、ほぼ田んぼだらけです。国道322号の旧道と交差する位置にあり、対岸や持丸集落からの集客を考えていたのではないか?と思われます。

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駅跡をここと推測した根拠は、過去の航空写真にあります。離合設備のない俗にいう「棒線駅」だった可能性もありますが、離合ができる駅だったと仮定するなら、土地の広さ的にはここくらいしかありません。

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国道322号の秋月~甘木間を走っていると、ときおり異常にでかいバスカットや駐車スペースに出くわします。このガソリンスタンドの裏手や才田組の採石場横も、むかしから謎でした。これも、線路跡を国道に転用する際、道をなるべく真っ直ぐ引くために用地買収した余りだとかんがえると納得できます。

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地図にもあった「下渕」駅は、料理屋の先になるのでしょうか。

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ここは橋と大平山に向かう車道の間に駅があると記載されているため、場所の特定は簡単です。

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現在は秋月寄りに「下渕」バス停があります。

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「大園橋」バス停の辺りも、線路が転用拡幅されて322号になったのがわかりやすい場所です。

不思議なのは、せっかく山側に千手集落があるのだから寄り道すればよさそうなのにしていないことです。非力な機関車しか所有していなかっただろうし、なるべくアップ・ダウンがない経路を選んだのかも……と考えてしまいます。

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つづいての駅名が「千手橋」ということは、このあたりに駅があったものと思われます。

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甘木観光バスの「千手」バス停は、バスカットにしては異常にでかいのが謎でしたが、駅があり、線路跡をベースにまっすぐ道を付け替えたのであれば、この余裕ある路幅も納得がいきます。

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「女男石」(めおといし)駅がどこであったかは判断の難しいところです。ただ、1926年の地図でも、1961年の航空写真でも、現在の国道322号にあたる道はない以上、集落から伸びる道と線路の交点であった場所に駅があったことは推測できます。

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すると、女男石駅はこの辺りでしょうか?

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現在の「夫婦石」(めおといし)バス停は、より集落の中心に近いところにあります。

以前はここだと考えていたのですが、地図に道がない以上、まさか田んぼのなかに停車して客を乗り降りさせていたはずはないため、考えをあらためました。

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航空写真と古地図を並べて加工してみました。

現在の国道322号を、おおよその位置ですが水色で書き加えてみました。集落の間をぬけて、なるべく真っ直ぐになるよう道が作られたことがわかります。それに対して、両筑軌道の線路は、いちど山側に沿ってゆるくカーブをつくり、秋月市街地の入り口で止まっています。

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女男石駅を出て、線路は山沿いを走ります。一部は防火水槽に転用されており、その向こうは、ほぼ藪となっていました。

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雨の日にやぶこぎして貴重な合羽を破くわけにはいきませんので、ふたたび里道と合流する地点まで自転車で回り込んでみました。しかし、リサイクル工場敷地内の空き瓶の山に埋もれ、すでにわからなくなっています。

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あきらめてせめて小石原川に残った橋脚を見ようと自転車をすすめたところ、驚くべきことにあの橋脚が見当たりません。九州北部豪雨で流されたのか?と思い残念な気分になっていたところ、川の中央に石にしてはかたちがおかしい物体が転がっています。

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2009年4月、「両筑軌道の旅」に掲載した橋脚の画像です。

九州北部豪雨で、とうとう壊れてしまったのでしょうか……。

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秋月駅跡は、12年前に訪問したときと変わらず、農作業をしていた地元の方に尋ねて行きあてた記憶のままでした。

両筑軌道 - Wikipedia

1911年(明治44年)9月 会社創立
1912年(大正元年)9月8日 田主丸 - 甘木間が開業
1913年(大正2年)1月23日 甘木 - 秋月間が開業
1920年(大正9年)9月21日 上碓井 - 飯田間が開業

じつはこの両筑軌道、嘉麻市飯田から上臼井でも軽便鉄道を経営していました。

笹原炭鉱の石炭を国鉄上山田線臼井駅まで運んでいたとのこと。

記憶がたしかなら、笹原炭鉱は、嘉麻市の市営笹原団地があった辺りに炭鉱本体があり、市営江星団地が、元炭鉱住宅跡だったはずです。

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失われた鉄道 両筑軌道 上碓井ー飯田 : ももちゃんのblog

先行研究をいろいろ読んでみると、どうやら青線の部分が、両筑軌道の線路だったようです。

両筑の「両」とは、筑豊と筑後の「両」筑であり、なんと、秋月から古処山地のどてっぱらに穴を掘って臼井駅までつなごうとしていたわけです。

それ、中小私鉄でやれる?と愕然するほかありません。傾斜につよい車のためのトンネルである八丁トンネルの本体工事がたしか100億円ですから、傾斜に弱い鉄道トンネルともなれば、その数倍はかかるでしょう。

秋月駅跡の標高が83mです。筑豊側で同じくらいの標高をさがすと、西鉄バスの旧「大力」バス停や伏貫酒店がある辺りになり、八丁トンネルの2,3倍は掘らないといけません。

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秋月駅跡から真正面の古処山地側を眺めます。ここから見えるのは、白坂峠や嘉麻市泉河内地区です。土地勘のあるひとはわかると思いますが、真っ直ぐ伸ばすと、旧嘉穂郡碓井町ではなく、泉河内地区を抜けて、嘉穂郡桂川町にたどり着きます。

まさか臼井駅ではなく、筑豊本線の桂川駅まで山のどてっぱらに穴を掘ろうと思っていたのでしょうか。

雄大というか、無鉄砲というか……。

北九州市小倉北区馬借2丁目 白髭稲荷大明神


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第一交通産業の本社裏手にあるお稲荷さんです。

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裏から見ると、隣の建物の離れであることがわかります。もしかすると第一交通産業の関係(邸内社)なのかもしれません。

福岡県神社誌:記載なし(発見できず?)
[社名(御祭神)]?
[社格]?
[住所]?
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2021.02.06訪問)

7月17日の日録

両筑軌道の旅 - 美風庵だより

12年前、甘木から秋月まで走っていた両筑軌道という私鉄の廃線跡を紹介しました。

googleアナリティクスでアクセスログは随時確認しているのですが、この記事、何年経っても一定数のアクセスがあります。おそらく、ほかにこの私鉄の紹介記事がなく、google検索でいつまでも上位にヒットするからでしょう。

1か月ほど前にコメントが付いたので久しぶりに読み返してみると、当時の知識不足が目につき、どうもよくありません。いつ死ぬかわかりませんから、ここできちんとリライトしておかねば、世間に嘘をまき散らすことになります。

……と思い、あらためて「両筑軌道の旅(改訂版)」を掲載するため画像を撮影しに出ることにしました。

天気予報では土日は曇りだったはずなのに、なんと、17日は朝から雨が降っています。

有期契約労働者の哀しいところですが、今日を逃すといつ行けるかわかりません。年金生活者やお百姓さんのように晴耕雨読とはいかないのです。

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モンベル | モンベル・レインウエアのフラッグシップモデル「ストームクルーザー」 |

仕方がないので、合羽を着て、秋月まで往復することにしました。モンベルさんの「ストームクルーザー」は自転車で動きやすくしかも蒸れないためよいのですが、値段もなかなかするため、あきらかに藪こぎしなくてよい日しか使えないのが難点です。

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寄り道をしながら、約1時間ほどかけて秋月駅跡地に到着しました。

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行き(茶色)は、なるべく両筑軌道の廃線跡をたどるように登り、帰り(青色)はいつもの経路で戻りました。だいたい往復あわせて13kmほどでしたので、それなりの運動にはなったと思います。

 

「両筑軌道の旅(改訂版)」は書き終わり次第、掲載したいと思います。

 

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原稿をあらかたまとめ、用件で車に乗ろうとしたところ、タイヤにヒビが入っているのを発見しました。さすがにこれはまずい……。

イエローハット甘木堤店 (福岡県 ) 店舗情報 | イエローハット

386号線の途中にイエローハットがあるのを思い出し、はじめて行ってみました。

まぁ、休日にちょろっと乗る程度でほとんど車を利用しなくなって久しいのですが、さすがにタイヤのヒビが目視できる状態で乗る勇気はありません。