松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

朝食

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朝5時ごろ起床。
冷蔵庫をみるともやしが入っていた。
スパゲティ麺を茹でる。茹であがったら麺をいったん取り出す。
茹で汁に、ヒガシマルのちゃんぽんスープと創味シャンタンDXを入れる。
スープを溶かした茹で汁でもやしに火を通し、最後に、スパゲティ麺を鍋に戻して、もやしを一緒に煮込む。
 
洗うのが便利なので、さいきんずっと金属製の食器を使用している。
 
ほんとうはもっと具材がいろいろないとちゃんぽんとしては成立しないのだけれど、赤貧生活ですから(笑)
しかし、朝からよくこんなものをつくってるよなぁ。
(2019.09.13記述)

朝倉郡筑前町三並 宝満宮


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筑前町三並地区の宝満宮が、どこにあるのかよくわかっていませんでした。地図を見てみると、どうやら以前の仕事場に行くとき、迂回路で使っていた道の途中にあることはわかったのですが、鳥居を見た記憶がありません。
考えてみてもしかたがないので、路幅の広くなっているところに車を停めて近づいていくと、ちょうど参道の横に取り付けられた道を発見しました。鳥居が墓地で隠れており、たしかにこれでは神社の存在には気づきません。

急な石段の横に、土嚢積みのゆるい参道があって、そちらを利用します。

拝殿には、耐震のためか筋交いがはいっており、ちょっとしたデザインのようにも見えます。

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福岡県神社誌によれば、境内社須賀神社祇園社)のみとなっていますが、実際には祠がほかにもいくつかあります。向かって右端から、八大龍王社、オオヒルメノムチ(卑弥呼天照大神)、白石大明神、妙見さま、そして、黒塗りの須賀神社です。

小字が「妙見」とあるとおり、おそらく最初にお祀りされたのは妙見さまではないでしょうか。その後、宝満信仰が浸透して、玉依姫が祀られたのだと思います。

八大龍王は、天穂日命豊玉彦のことであり、大幡主の子で、海の神様です。龍神でもあります。豊玉彦の娘が豊玉姫(のちの宗像三女神のひとり、田心姫:たごりひめ=道主貴でもあります)で、その夫が山幸彦です。

宝満宮にお祀りされている玉依姫とは異母姉妹の関係です。

彼らはその縁で祀られているのかもしれません。

オオヒルメノムチ(大日孁貴)は、天照大神卑弥呼のことで、豊玉姫の夫 山幸彦の母親だと考えています。夫の母親だけがぽん、と祀られているわけはないので、どこか本殿のすみにでも、山幸彦がじつは祀られているのかもしれません。

ここで謎は、「白石大明神」と彫りこまれた石碑です。白石と見ただけで松重豊に似た顔が浮かび頭がクラクラするうえに、何者かまったくわからないときています。宝満宮の拝殿に腰かけてgoogle先生に訊ねてみると、佐賀市に白石神社というのがあって、そこは大己貴と事代主をお祀りしているらしいのです。

事代主は豊玉姫=田心姫のお子さんであり、子連れで再嫁した相手が、大己貴(のちの大国主)です。

「謎はとけた!」と声に出すつもりはありませんが、おそらくここは最初、小字の示す通り妙見さまのお宮だったのだと思います。そこに玉依姫が祀られて宝満宮で上書きされたのでしょう。ただ、異母姉妹の豊玉姫(田心姫)とその前夫と再婚相手、子が境内を取り巻いており、そちらがむしろメインのような印象すらうけてしまうのです。

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宝満宮の石段をおりて、墓地にも足を踏み入れてみました。

どの墓石も剣花菱紋ばかりです。
神社の真下に墓地があるくらいですから、奉斎している氏子さんに違いありません。

県南の筑紫君が治めた地域に出自があるかたなのでしょうか。

八龍神社(津古神社) 福岡県小郡市津古 : 空 sora そら

小郡あたりで宝満宮の氏子区域の墓地に剣花菱紋を見かけますし、なんせ津古には八龍神社があります。

もしかすると、三並地区は県南から小郡を経て移住してきたひとたちのコロニーなのでしょうか?

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 (2019.08.02訪問)

朝倉郡筑前町当所 当所神社


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地元では宝くじ当選祈願で有名な神社です。

福岡県神社誌をだいぶ探しましたが、当所神社についての記載を見つけることができませんでした。いろいろ混乱があるとみえて、赤貧が引用しているゼンリン「いつもnavi」の地図でも、神社裏手の仏堂が熊野神社と表記されており、正確ではありません。

社殿には地元氏子さんの手による由来書きもあるのですが、いつ創建されたか、なぜこの御祭神なのかといった記述はみられませんから、おそらくは誰も細かい部分は判らない可能性があります。

となれば、元々は熊野神社と名乗っていたということだけを手がかりに、考えてみるしかありません。

以下、しょうじき手抜きなのですが先行研究である「玄松子の記憶」から要所を引用しつつ、書いてみることにします。
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www.genbu.net意宇川の500m上流に「上の宮」があり、ここは「下の宮」だった。『雲陽誌』には、「速玉・事解男・伊弉冉三神を上の社、天照大神・素盞嗚尊・五男三女を下の社」とあり、上の宮は熊野三社、下の宮を伊勢宮と呼んでいた。
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熊野神社の御祭神は、神社によってさらに増えますが、速玉男(ハヤタマオ)、事解男(コトサカオ)、伊弉冉イザナミ)の3人が基本です。
 
イザナミについては誰でも名前くらいは知っていますが、あとの2人が、よくわかりません。男とついているからには男性なのだろうくらいの話です。
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事解男命:玄松子の祭神記

死んで黄泉国にいかれた伊邪那美神を、伊邪那岐神が追っていったところ、すでに伊邪那美神の遺体は腐ってうじがたかり、遺体の各部に八雷神が生まれていた。

古事記』や『日本書紀』本文では、伊邪那岐神は慌てて逃げ帰ったと記されているが、一書には、穏やかに「もう縁を切りましょう」と言い、「お前には負けないつもりだ」と言って唾を吐いた。その唾から生まれた神が速玉男命。次に掃きはらって生まれた神が泉津事解之男。
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とあり、イザナギさんとイザナミさんがケンカ別れ(離婚)したあとにくっついた男だろうと、おぼろげには理解できます。「縁を切ろう」といって「負けるか!」と言って、新しい男に唾を吐いたわけです。すると速玉男が新しい夫(彼)ということになります。

掃きはらって生まれるのが事解男だから、離婚(手切れ)の仲介をした男ということです。

通説では、こういう話を無視して、スサノオイザナギイザナミの3人としているところが多いように感じます。日本書紀に沿って夫婦と嫡子がお祀りされているとするのが、たしかに無難です。しかし、事実を伝えてはいません。
 

熊野神の正体については、通説は間違っているとは思うものの、これ、と考えがいまだにまとまっていないため、再度、考えがまとまり次第、日記にて公表しようと思います。日本書紀イザナミさんが腐乱死体のお化けみたいな書かれ方をしているところをみると、ろくな別れかたはしなかったのでしょう。
(2019.08.02訪問)

朝倉郡筑前町栗田 老松宮


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この神社を紹介するにあたり、まず、筑前町が作成した案内板をお読みいただきたいと思います。

この筑前町栗田地家にある老松宮こそ、秋月種実が安楽寺天満宮(現太宰府天満宮)の御神体を一時的にお祀りした場所だというのです。

朝倉市下渕 老松神社 - 美風庵だより

朝倉市下渕 老松神社 再訪 - 美風庵だより

すでに朝倉市下渕の老松神社を訪問したとき、同様の言い伝えを案内板で読んでいます。いったいどちらが本当なのでしょうか。このふたつの神社は、徒歩で5kmほどの距離があります。近いといえば近い距離ではあるものの、どうも関係がよくわかりません。

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福岡県神社誌では、御祭神は菅公、吉祥女、紅梅とあります。紅梅とは飛梅のことでしょうか。京から梅が飛んできたので「飛梅」、松がそのあとを追ってやってきたから「追い松」。やがて「追い松」は「老松」と表記されるようになります。

菅公や菅公の部下を祀る神社が「老松宮」と名乗るのは、それゆえです。

社殿の鬼瓦や、お榊立てまで至るところに梅鉢紋が打たれています。本殿の背後に祠がありますが、御祭神がわかる手がかりがありませんでした。

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鳥居をすぎて御神橋の両側に池があり、水神様か弁財天社があったのですが、鉄柵に囲まれており、近づくことができませんでした。

鴨ががあがあと鳴きながら池を散歩していました。

(2019.08.02訪問)