松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

朝倉市甘木馬場町 厳島神社

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馬場町厳島神社があります。福岡県神社誌では市杵嶋姫(イチキシマヒメ)を祀るとされており、石柱に刻まれた御神紋も、本家広島県廿日市市厳島神社と同じです。

この御神紋は、「三つ盛り二重亀甲に剣花菱」と呼ばれています。亀甲紋は、これまでも紹介したとおり、大幡主、大国主といったシロヒワケグループの代表的な紋章です。大国主も、市杵嶋姫の婿になるまえ、父親 大山祗の元に居た大己貴(おおなむち)時代にはつけることができませんでした。

そして剣花菱紋は、筑紫君(+その権力基盤である物部氏)の紋章のひとつであり、これもまた由緒正しい血筋をあらわしています。市杵嶋姫を奉斎してきたのは、なんといっても宗像族と筑紫君(水沼君)であり、市杵嶋姫というのは恵まれた血縁関係をもつ超プリンセスだったことがわかります。

このプリンセスは、またの名を弁財天とも言われ、商売繁盛の神様として信仰高いのは、赤貧がいうまでもありません。おそらく、甘木商人が宗像神社ではなく厳島神社を勧請した理由も、弁財天信仰にあったのだと思います。

(9)姫古曽神社2 市杵島姫とニギハヤヒ : ひもろぎ逍遥

そしてもう一つ、このプリンセスは、七夕さま(織女神)でもあります。

老松宮 | イベント情報 | 福岡県観光情報 クロスロードふくおか

牽牛社の御祭神は犬飼神とありますので、アメノオシホミミということになります。

市杵嶋姫とアメノオシホミミの別れ話が、中国の昔話とまじりあって、いまも織姫と彦星の話として、言い伝えられているのです。

しかし。いくら大昔は政略結婚だらけとはいえ、乱婚?乱交?ですね。何人も妻が居たり、一族の命令で?夫を取り換えたり……。神社めぐりをしていてよくわからなくなってきます。

(2019.07.05訪問)

 

 

名古屋市北区 綿神社

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安曇族が移住した痕跡ではないかとされている神社で、今回はじめて訪れました。

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 案内板で「志賀」が強調されているのは、地名の「元志賀町」に対応しているのだと思います。

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鳥居の横にも案内板があります。

二人の玉依姫の違い : ひもろぎ逍遥

玉依姫は複数世代が名乗った名前で、いわば「*代目市川團十郎」みたいなものなので、竜宮城の乙姫さんとはかぎらないようです。 とはいえ、安曇族の有名人ですから、祭神に選ばれたのでしょう。

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社殿は鉄筋コンクリート造りで、ぐるりと一周していたところ、なんと橘紋がついていました。……どこから来たのかが謎です。志賀海神社は巴紋、風浪宮は州浜紋で、安曇族ならこのあたりのような気もするのですが。

(2019.06.16訪問)

 

 

飯塚市内野 老松宮

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飯塚市(旧筑穂町かつ旧内野村)内野にある老松宮です。

たまに大物に出くわしますが、これだけの大物に出会えると、興奮します。

非常に失礼な書き方だとあらかじめお断りしますが、ここは「怪獣級」の歴史遺産です。

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御祭神は菅公であり、1248年に大宰府天満宮領となって勧請されたと福岡県神社誌に記載されています。ただ、それはあくまでも老松宮としての創建であって、雰囲気はどこからみても菅公を祀る神社なぞではありません。

下関市長府の忌宮神社久留米市御井町の高良下宮と同様、石段の下にある広い庭は、命令するために民や役人を集めるための場所です。このつくりは、民に命をくだす王を祀る場所であったことを示しています。

そして三階松の御神紋は、宮地嶽神社と同一です。

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www.miyajidake.or.jp

(略)

「本社縁起日宮地嶽大明神阿部相丞、勝村大明神藤高麿、勝頼大明神助麿、云々。伝説に往昔神功皇后新羅を征し給ふ時、宮地嶽の山上にて宗像三柱大神を招神鎮祭あらせられ祈請し給いて遂に新羅に勝ち還御ありしによって宗像三柱大神を奉斎し給ひ、後に神功皇后を御同座に祀ることとなれりと云ふ。又勝村大神勝頼大神は三韓征伐に随行せられて常に先頭を承はり勝閧を挙げられたり、帰還後此の地の祖神と祀らる。」

(略)
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宮地嶽神社の公式ブログが「いち個人の見解」と前置きして福岡県神社誌の一部を紹介しています。「御祭神隠しをやってきたよ(てへ)」と回りくどく白状しているのです。この老松宮の社殿の屋根の千木が男千木なのも納得がいきます。

神功皇后を中心とした筑紫君(水沼君=玉垂命)と熊襲阿蘇氏)の連合が三韓征伐の主力部隊であったと、これまでにも仮説で何度も書いてきたことですが、菅公を祀っているはずの老松宮で三階松の御神紋を見つけたことで、この説は多少なりとも補強できた気がします。

記紀に従えば神功皇后軍ですが、実際のリーダーは筑紫君だったのでしょう。

そして筑紫君である玉垂命は、阿部相丞でもあったわけです。仲哀天皇神功皇后応神天皇と皇統がつながっていると偽装するために、玉垂命は隠されました。

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社殿の脇に、稲荷神社、大神宮、松尾神社があります。稲荷神社はウカノミタマ(=豊受大神=稲魂神)を祀り、いわば神宮の外宮に相当します。大神宮はオオヒルメノムチ(卑弥呼天照大神)を祀ります。

松尾神社の御祭神は福岡県神社誌では天照大神の侍女であるオオミヤノメとされています。このオオミヤノメはただの侍女ではありません。岩戸隠れの引っ張りだしにセクシーダンスで貢献した(ことになっている)アメノウズメの別名です。アメノウズメものちの豊受大神のこと。つまり、お稲荷さんと二重にお祀りされています。

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いちおう帳面消しに、菅公も祀られています。そしてその祠のよこには、蘇孝慈墓誌を思わせる立派な楷書で書かれた石碑があります。

書道Ⅰ 蘇孝慈墓誌(蘇慈墓誌銘) | 淑徳大学

王が天照大神を従えて鎮座する構図は、寺内の美奈宜神社などでもみられるものです。

ただ、この神社のすごさはこれだけではありません。

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社殿の背後に、オオヤマツミを祀る大山祇神社があります。

愕然としました。おそらくこれがもとの古宮です。寺内の美奈宜神社が、戦勝地に神功皇后軍が建てた記念建造物であったのと同様、この内野の老松宮も神功皇后軍が占領地に建てた記念建造物なのです。

やがて時代が下り、太宰府天満宮領となって菅公で上書きしなければならなくなったときに、住民の抵抗があったのでしょう。さまざまなヒントが残されました。あまりの露骨さに、クラクラしそうです……。

帰ろうとすると、ちょうど原田線の列車がやってきました。

むかしはこれに乗って仕事場に通うことも年に数回あったのですよね……。遠い幻のようです。

(2019.06.08訪問)

 

名古屋市中区 桜天神社

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赤貧が名古屋に来たら利用しているホテルの近くにある神社です。

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ビルのすきまに、埋め込まれるかのように建っています。

桜天神社 - Wikipedia

由来などはwikiを読んでいただくとして、面白いなとおもったのは、社殿脇にある末社の祠です。

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事代主がスクナヒコナとエビスとして2回、通説だと大物主=大国主なので大黒社と金刀比羅神社は祭神がかぶります。白太夫は、菅公の最後を看取った神主さんです。

おそらく、この地にあった神社をひとまとめにしたのでしょうが、面白いほどごちゃまぜちゃんぽんになっています。

(2019.06.16訪問)