この天満神社は、赤貧が所属する町内会で管理している神社です。年2回祭礼があり、そのときに社殿のなかに入ることができます。なかにはたしかに菅公とおぼしき木像があります。
福岡県神社誌には、当時の地名である「馬場口」に在ることと菅原大神を祀ることしか書かれていません。どういういわれがあるのかもよくわからないのですが、そこまで格の低い神社とも思えないのは境内正面右手に、筑前国内の式内社を並べた祠があることです。
集落の中にある石碑やお地蔵さんを神社境内に移すというのはよく見かけます。現に、式内社の祠の横に、サルタヒコやお地蔵さんが集められています。が、式内社の祠があちこちにあったとは思えませんから、ながねんの信仰のなかで、併せて式内社をすべて勧請したと考えるほうが自然です。
天満神社とよく似た名前に「天神社」というのがあります。
戦前に刊行された福岡県神社誌の一部です。天満神社・天満宮・天神社には、埴安神(ハニヤス)か菅公のいずれかがお祀りされているのがわかると思います。地元の古老に「天満宮とか天神社といっても、菅公かほんとうの天神様のどちらなのか、お参りするときは気をつけないといけない」とは言われていましたが、古老の認識する「ほんとうの天神」がハニヤスのことらしいのです。
ただ、何者なのか、よくわかりません。
wikipediaをみてもイザナミから生まれたことくらいしかわかりません。
どうもネットを見ていると、土や陶器に関係する神様のようです。
赤貧の住む三福町の隣に本町行政区があり、ここには田神社があります。
この田神社の御祭神もハニヤスで、土や陶器の神様なら田神社でもおかしくはないと思えます。
裏には龍泉池という池があったそうです。戦後すぐに生まれた世代に聞くと、この池に水があったそうです。今では枯れ池で面影もありませんが……。ここからこんこんと水が湧き出ていたなんて、どうもいまいちピンときません……。
境内社がいくつかあり、左の写真の手前左が雨乞いの神様貴船大明神、手前右がどうもお稲荷さんのようです。うしろの祠をのぞきこみ社殿にある紋章がなにかだいぶ考えてみたのですが、お稲荷さんの宝珠のようでもあり、違うようでもあります。
埴安神については、大幡主命と大山祇命が一体と見なされたものであるという説があります。これが正解のような気もするのですが、いまのところ判断は保留しています。この2つがいっしょにされる理由と、それを祀る神社が、田神社だったり天神社だったりと、なぜこうも名前がバラけているのか、この点がよくわからないからです。